大坂夏の陣の論功行賞で、松本藩藩主小笠原秀政は戦死し、あとを継いだ忠政が松本8万石から播州明石へ移封され、高崎藩 戸田康長が7万石の領地替でから移された。浮いた1万石は、諏訪と高遠両藩に5千石ずつ分け与えられた。そこで諏訪藩主が東5千石の飛び地の巡見をした道が「五千石街道」と呼ばれるようになった。
塩尻宿の上町から長畝へ出て、さらに中挾から南熊井・赤木を経て竹淵で善光寺街道(北国西街道)と合流する。
塩尻は、秋葉街道を北上した「南塩」と千国街道、五千石街道を経た「北塩」それぞれ最終点であったことに、地名は由来している。ちなみに、信州では、他に「塩尻」の地名は、栄村・塩尻(千曲川谷街道から/富倉街道・飯山からの)上田市・塩尻(中山道倉賀野から/飯山からの)が存在する。ただし地名の由来には諸説ある。