古道塩の道 謙信が宿敵信玄に塩を送った塩の道 山口ー根知ー中山峠ー大野ー糸魚川 

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中山峠・糸魚川 塩の道     ← 大網峠・白池

七夕縄飾りの風習は、松本城下では、江戸時代には盛んに行われていましたが、今は、その姿を松本では見ることができません。しかしその風習は、塩の道にて、ここ根知谷に受け継がれたと考えます。ここ根知谷では、毎年 7月7日から8月7日まで、塩の道沿いの集落、根小屋、東中、上野、山口、和泉にて飾られ、飾り期間の最終日に根知川河川敷で七夕流しを行う。


七夕縄は、嫁さん、婿さん、荷かつぎの人形を、花嫁行列に見立てて飾る

コースガイド

山口 関所跡

全国各地にある、多くの山口の地名と同様、「山への入り口」に由来する。武田・上杉の攻防では、重要な戦略地であった。江戸時代に入ると、塩の道、西廻りの道の虫川関所と同様に、ここを通過する荷物検め、「通常銀」の徴収がおこなわれていた。ここには、毘沙門天が祀われている。謙信との関わりであろうか?

写真 稲葉石仏群




大工屋敷 百番供養塔

観音霊場巡礼供養塔のひとつ、(西国三十三観音、坂東三十三観音、秩父三十四観音)で、江戸時代には、これら霊場を巡拝(遍路)することが盛んになり、巡拝供養塔はその記念碑である。
写真 和泉のお堂

根知城址

根小屋城・栗山城・上城山城を総称して、「根知城」と呼ぶ。標高320mに位置し、本丸跡と、殿屋敷と称する郭跡を中心に郭跡17、削平地201、堀切16、堅堀15の大規模な山城である。築城年代は不明、永禄11年(1568)以降、謙信の書状に「信越国境の根知谷の警備を厳重にせよ}という指令がある。信玄に追われ、川中島の合戦の発端をつくった村上義清は、謙信から永禄8年(1565)に根知城主に任じられた。
写真 本丸への道/カタクリ 井戸跡 堀切 本丸から根知谷

中山峠 / ウトウ / 旅人の墓 / カンパ地蔵

中山峠 峠付近の道は、長年、塩の道を歩いた、人と牛の往来でできたウトウが続く。
ウトウ 人、牛の往来により、道がU字に削られた場所。塩の道では、峠付近に多い。
旅人の墓 行き倒れた旅人を、仁王堂集落の人々が葬った墓。
カンパ地蔵 カンパとは、おできや湿疹のことを意味し、それらに効くと云われていた。地蔵堂の前には「兜岩」がある。謙信が信玄に塩を送ったときに、重臣がこの岩に兜を置いたことに由来した名前である。写真 百番供養塔

大野道標 / 大大野神社

大野道標 「左ハ志ん志やう」(信州)「右ハ井ノ口村人」と刻む。この近辺の塩の道には、宿、茶屋、店が多かったという。
大野神社 古くは、八幡神社。明治維新以後、小坂神社、熊野神社などを合祀した。

十王堂 / 尻掛りの渡り

十王堂 十王とは仏教と道教とが混じり合って伝えられ信仰されたものと云われており、閻魔大王をはじめとした、死者を司る10人の大王。三途の川で閻魔大王により天秤にかけられる。十王堂は村の出入口にある場合が多い。
延喜古道 律令時、令制国の国府を結ぶ官道であり、小路とされた。延喜古道は、姫川を西川原の不動岩にて渡り、「尻掛りの渡り」大野を通り最明寺越えて、塩の道・東古道の起点、水保へ至る。    写真 十王堂の十王 馬頭観音 六地蔵 尻掛りの渡り

下村石仏群 / のぞき戸

下村石仏群 石仏群の中央あたりに、三面六臂の馬頭観音が鎮座する。
のぞき
戸 ここより日本海側の坂を「メンパ坂」といった。弁当箱のメンパ(曲げ物)を落としたら下まで転がったとか、

中山橋 石仏群

塩の道、カンパ地蔵付近にあったものを、明治になり、姫川沿いに道がつけられ、ここに移動した。庚申塔、善光寺式阿弥陀三尊仏などの石仏がある。


原山地蔵 / 上刈みかん

原山地蔵 180pの立像の地蔵。塩の道・西廻り、大峰峠の地蔵はこの地から移されたと伝えられる。
上刈みかん みかんの北限、北前船により運ばれてきたと伝えられ、航海の食糧として使われた。

経王寺 / 牛つなぎ石 / 白馬通り

経王寺 梵鐘は、廃仏毀釈により、天津神社の神宮寺のものを移築した。新潟県で最古の梵鐘。
牛つなぎ石/追分石 「四つ角」から塩の道が始まる、。四つ角では、塩の道と北陸道が交わる。安永5年(1776)に、牛つなぎ石/追分石が建立され、現在は、西性寺に保存されている。
白馬通り 蒸気茶屋(船員の休憩/宿泊)、ふんごみ茶屋(「ハバキ」を脱がないで土間まで踏み込んで火にあたれた茶屋)、歩荷宿、塩問屋などが並んでいた。塩の道・千国街道の起点である。写真には、廃止されている 大糸線キハ58国鉄色車両が写っている。
雁木 通りに面した家々の軒先の屋根を、歩道を覆うまで伸ばし、隣との屋根もつなぎ、積雪期において、その下を歩けるようにした道。

翡翠海岸 / 塩の道峠

翡翠海岸 新潟県糸魚川市から富山県朝日町までの海岸をヒスイ海岸と呼ぶ。↓のピークは、「勝山城址」である。天正13年(1585)上杉景勝、直江兼続、羽柴秀吉、石田三成が「落水盟約」を交わした地である。
姫川下流より、塩の道の峠をのぞむ。@中山峠 A鳥越峠 Bアワガ峠 C大網峠
店舗写真

information塩の道インフィメーション

塩の道峠窯

〒399-9422
信州長野県北安曇郡小谷村栂池高原623
TEL.080-1160-8288

古道 塩の道 MAP


小谷道の駅にて販売