初夏は、のどかな白池の湖畔を古道塩の道が通っている。元禄時代に信越の国境をめぐって越後根知村と信州小谷村との争いがあった地である。未だ、国土地理院の地図には、ここ白池から戸土境の宮付近に県境が明記されていない。争った背景には、ここ白池の水利権があったとも言われる。塩がこの千国街道塩の道から信州へ入れたのは、ここの水との代償ともいう説もある。その争いの余波であろうか、白池の呼び方であるが、越後は「しろいけ」、信州は「しらいけ」である。
12月末、根雪が積もった朝の白池である。 積雪期の大網峠越えは、牛が使えず、人の背中(歩荷)が
頼りであった。ここから、千国古道・塩の道の戸土集落まで30分らずの行程なので寄り道を勧める。
コースガイド
大網橋 橋脚跡 / ニカイ
大網橋 大網橋が姫川に掛けられたことが、塩の道の主ルートが、千国古道から千国街道へと移行した大きな理由であった。
ニカイ 地名の由来は「荷換」塩の道の継荷宿があったことに由来している。
写真 ニカイ庚申塔
千国古道 根知 − 白池 − 角間池下道標 − アワガ峠 − 横川宿 − 地蔵峠
山寺 − 戸土 − 鳥越峠 − 横川宿 − 地蔵峠
千国街道 根知 − 白池 − 角間池下道標 − 大網峠 −大網宿 −
大網橋 − 平岩
大網(古宮)諏訪神社
大網は、「おあみ」と呼称されているが、「うあみ」「おおあみ」とも。いずれも古代の峠の神の遥拝所である「拝み」に由来する説や、大網(古宮)諏訪神社は、建御名方命(後の諏訪様)の生誕地であると伝承があり、奴奈川姫がこの地に産屋を建てて周囲に大きな網を巡らしたので「大網」と云われるようになった説がある。
大網雪と日の祭典 2月第二土曜日、雨飾山の神への祈念の祭り。
大網宿
信越国境の地であったため、歴史上、軍事、塩の道の要所であった。牛方宿、歩荷宿、そして、塩を中継する荷継宿があり栄えていた。塩を貯蔵するための「塩倉」が当時は幾棟もあった。唯一残っていた塩倉は、小谷村千国の牛方宿横に移築され保存されている。塩倉は、塩の影響で、
鉄などの金属は、錆びてしまうことから、鉄釘が使用されていない。
芝原六地蔵 / 石仏群
芝原六地蔵 石工の思いが1体1体に込められている。六地蔵は、火葬場があった場所に祀わられていることが多い。
石仏群 比較的広い、塩の道に石仏が並べられている。。
横川吊橋 / 大網小原の滝
横川吊橋 横川の渡りは、塩の道・千国街道の難所のひとつでもあった。横川の川幅が狭まり断崖の岩を利用して架けられている。
大網小原の滝 大網集落から林道を横川方面へ、15分ほど歩くと、横川を隔てた、対岸に小原の滝が見える。特に例年、11月上旬の紅葉は素晴らしい。
大日如来 / 菊の花地蔵
大日如来 塩の道の、馬頭観音、大日如来は、家畜や荷物を運んだ牛・馬の守り神で、亡くなった牛馬の弔いに祀わられた石仏が、塩の道には、多く見られる。
菊の花地蔵 塩の道を見下ろす大きな杉の傍らに祀わられている。
牛の水飲み場
牛にとっては、この滝は難所であった。滝の落ち口に、岩盤を削り、牛が飲み易いように水のみ場が造られている。牛に対する労いが感じられる。
塩の道・千国街道は、何故、馬でなく牛か?
馬が歩けないほどの地形を牛は歩くことができる。山道が急である、塩の道には適していた。人が手を使わないと登れない急坂は、牛は無理歩けないが、人が歩ける斜度は、牛も歩ける。
大網峠 / ウトウ
峠には、茶屋と歩荷宿があった。積雪期には、塩の道を往来する、歩荷、牛方に情報を与えていた。初夏には、オオイワカガミの大群落に花が咲き乱れる。
ウトウ 牛、人が歩くことにより、道の土が削れ、U字状に道が窪んだところ。大網峠直下(大網側)は、雪融けのころ、ブナの新緑と相まって見事な、澄み切った空間となる。
横川吊橋 / 大網小原の滝
横川吊橋 横川の渡りは、塩の道・千国街道の難所のひとつでもあった。横川の川幅が狭まり断崖の岩を利用して架けられている。
大網小原の滝 大網集落から林道を横川方面へ、15分ほど歩くと、横川を隔てた、対岸に小原の滝が見える。特に例年、11月上旬の紅葉は素晴らしい。
ガニ池 / 角間池
ガニとは、牛に履かせる沓(くつ)の意で、古称である。この地で、塩の道を糸魚川から登ってきて、使えなくなった沓を履き替えさせて、この池の付近に掛けたことからの地名。
角間池 生息するアマゴイルリトンボ(糸トンボ)は、分布の南限とされている。
角間池下道標
文久元年(1861)糸魚川、羅漢和尚の建立。「右 松本街道大網」「左 中谷道横川」と刻む。右は、塩の道・千国街道、左は、塩の道・千国古道のルートを示している。小谷の燕岩にて分岐したそれぞれのルートがここで合流した。写真左は、アワガ峠付近だが、現在は通行不能である。アワガは湿地のことである。
白池
水は澄み、見る位置、角度、光の加減などにより、湖面の色が変わる。特に、雪解け時は、コバルトブルーになる。水源は、池の西北の湖底から湧き出されている。池の東方向に、雨飾山、頚城の山並みがそびえ、湖面にその雄姿を映す。白池から、塩の道を一段上がった丘の「諏訪の平」に、白池諏訪神社石祠が祀われている。諏訪、御柱祭の前年に行われる「薙鎌神事」は今は、近くの戸土集落の、境の宮と小倉明神にて、交互に行われているが、以前は、ここで行われたとも云われる。歴史上の、越後と信州の境である。
白池地蔵 / 大塞の神 / 塩の道資料館
白池地蔵 江戸末期、白池西側の戸倉山斜面にて発生した、雪崩にて、白池湖畔にあった、歩荷宿が崩壊し、多数の死者がでたことを供養した地蔵様。従来、白池にあったが現在は、山口へ移転した。
大塞の神「一本杉」 村のはずれ、峠などの大木や大岩などを道を守る神として崇拝した。一本杉は勇壮で且つ背後の、雨飾山、駒ケ岳そして根知谷と、塩の道、大網峠越えを終えた旅人の心境になれる。
塩の道資料館 豪雪地帯特有の、開口部が小さく、軒が高い、茅葺屋根の建造物である。展示されている、大橇(おおぞり)は、京都東本願寺の柱木を横川集落から鳥越峠を越え、運搬した際に使ったもの。