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儀塩 謙信が宿敵信玄に塩を送った塩の道 松沢ー沓掛ー千国ー大別当ー坪山 

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小谷村・千国越え 塩の道   ← 白馬・姫川源流  燕岩(つばくろいわ) →

小谷村栂池高原を通る、古道 塩の道は、千国越えとも言われていました。千国から沓掛までの親坂は、荷(塩など)背に負う牛に気遣い、歩きやすいよう、石を敷き詰めた石畳の塩の道が残ります。牛が飲みやすいよう石舟に水を引水した、弘法の清水、牛方さんと牛とが宿泊した、牛方宿など、人と牛との関わり合いが想像できる道です。


塩の道まつり 5月2日糸魚川市 3日/小谷村 4日/白馬村 5日/大町市(主催者に要確認)
写真は平成19年小谷村沓掛  信玄軍に仮装した村人の行進

コースガイド

松沢薬師堂石仏群 / 前山百体観音

松沢薬師堂百体観音 前山百体観音とここの観音様を合わせて、百体とされている。
前山百体観音 西国三十三観音、坂東三十三観音、秩父三十四観音を合わせて百体とするが、松沢に分散している。後列の北端の観音様は、寄り添う木に抱かれている。高遠石工の作。

古道 塩の道、前山百体観音から白馬三山の眺望




沓掛(くつかけ)

「沓掛」という地名は、全国多い。使い終わった、わらじを木などに掛けた意で、「道の分岐」「あいだの宿」としての使われ方をしている。鎌倉時代まで多く使われ、その後同じ意で「追分」が使われるようになった。沓掛は古道が通っていた証でもある。
沓掛の大杉跡 高さ49m、目通り13mの大杉が、明治44〜45年のケカチ(大凶作)で切り出された跡に祠が建っている。塩の道からは、沢越えに森の中に切株があった広間に注意しないと見逃してしまう。武田軍が平倉城を攻めた際に、この杉に登り、偵察したと伝わる。

塩倉

塩の道、大網集落に遺されていた、「塩倉」を、千国、沓掛に移築し保存されている。塩分による鉄錆びを避けるためにくぎなど、金属はいっさい使われていない構造。松本には、「塩倉」という地名が、塩の道に残る。。

牛方宿

牛方さんが牛と寝泊りした宿。牛が荷(塩)運びの主役であった、塩の道・千国街道では、当時は、古道沿いに数軒あったが、現存する唯一の建造物である。19世紀初期の建物で、当時の民家の建築様式を、柱の太さや本数、仕組みなどに残しており、きわめて質の高い建物である。

親坂 / 弘法の清水

親坂は、塩の道では、難所だった。牛への気遣いが感じられる場所である。重荷を背負った牛が歩きやすいように敷かれた石が石畳として残る。東海道の箱根の石畳のような派手さはないが当時が偲ばれる。
弘法の清水 上段の石舟は人用、下段の石舟は牛用の2漕の石舟に引水されている。上方に、安永3年(1774)に安置された弘法大師像がある。

錦岩 / 牛つなぎ石

錦岩 雨に濡れると石の色が青く変わる。塩の道を往来する者にとっては、大岩、大木、山肌の崩れなどの、市、距離の目安のひとつとなっていた。
牛つなぎ石 親坂に残る牛つなぎ石には、手綱を巻くタイプと穴に通すタイプがある。ここは穴タイプである。穴の大きさは、子供の顔と比べてください。

親坂馬頭観音塚

親沢を渡る手前に馬頭観音が多数並ぶ、馬の墓場でもあった。平成7年の豪雨災害にてほとんどが流出したが、地域の人たちにより、探し、再びここに並べられた。
写真は、親坂より、千国宿(集落)

千国宿 / 千国番所跡

「千国」は、現在は小谷村の地区名であるが、鎌倉時代には、今の白馬村、小谷村全域を指していた。千国の庄は、皇室関係の領地で、文治2年(1186)に「六条院千国庄」との記述がある。慶長年代(1596〜1615)より松本藩の千国番所が置かれた。運上金の徴収、人改めを行っていた。
写真 千国集落初冠雪、道祖神祭り、千国番所跡、春大山桜、辛夷満開

千国諏訪神社 / 建長寺

千国諏訪神社 奇祭 ささら祭り
建長寺 曹洞宗、本尊は千手観世音菩薩。塩の道沿いに西国三十三観音が並ぶ。

大別当 / 石仏群

田園の中を深呼吸しながら歩く道である。雪解けとともに福寿草が塩の道の斜面に咲き誇る。石仏が里山に点在する塩の道である。
鐘馗様 目がなれてくると、鐘馗様の像が浮かんでくる。まず目の位置を見つけてください。写真は積雪期に、雪を塗って撮影しました。

坪山庚申塔 / 二十三夜塔

庚申信仰 十干十二支(じっかんとじゅうにし)による、60日に一度巡ってくる庚申(こうしん、又は、かのえ)の日に、夜を寝ずに身を慎んで過ごす庶民の信仰のこと。道教によると、人の体の中には、「三巳(さんし)」という虫がいて、庚申の日になると、天に昇り、天帝 にその人の罪過を告げ、それにより寿命が縮まってしまう。これを防ぐために一晩中起きていれば三巳が体から出られず、命も縮まらないと説いている。庚申塔は、60年に一度の庚申の年に建立される石仏である。単に「庚申塔」と字が彫ってあるものもあるが、青面金剛像(しょうめんこんごうぞう)を彫ったものが多く、邪鬼を踏みつけ、性の束ねた髪を鷲掴みにしている青面金剛が中央に立ち、神使である三猿、日待・月待の信仰を意味する日月や、朝までを表すにわとりなどが彫られている。坪山庚申塔は彫が深く見事な出来栄えである。
二十三夜塔 月待ち供養の信仰で主として、前述の庚申信仰が男性、月待ち供養は女性の集まりで、この付近は、三夜坂と呼ばれ、幅が広く、石畳になっている。
店舗写真

information塩の道インフィメーション

塩の道峠窯

〒399-9422
信州長野県北安曇郡小谷村栂池高原623
TEL.080-1160-8288

古道 塩の道 MAP


小谷道の駅にて販売