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儀塩 謙信が宿敵信玄に塩を送った塩の道 岡ー菅沼峠ー虫川ー須沢 

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菅沼峠・須沢 塩の道       ← 大峰峠・夏中 

西廻り塩の道は、藪がひどく、道の整備も悪く、当時は、姫川右岸の、塩の道・千国街道に比べ、悪路であったと云われています。現在は、車道がほとんどのルートであるため、車を使用しての散策が、積雪期以外ができます。


不動滝 落差70m3段 雪解けのころは勇壮、隣に糸滝も落ちる。

コースガイド

岡集落 / 朝霧地蔵

古道 北陸道の難所「親不知子不知」の迂回するルートも、岡を通っていた。上路ー橋立ー岡ー根知 上路道と呼ばれた。
朝霧地蔵 朝霧沢/字切沢(アザギリサワ)の降口(旧道)に安置されている。寛永3年(1791)小滝の男衆が梶屋敷へ年貢を納めに行った帰りに雪崩にあい、死者5名がでる惨事があり、その供養に建立した。斜面にやしょう池がある。

謙信・信玄像

「菅沼峠にある。越後と信州でどちらが、謙信、信玄かで見解が分かれる。大きい石仏が越後側に鎮座しており、そちらが謙信で問題はないようである。塩の道由来の故事、「儀塩」からも謙信に一票!

塩の道 岡ー菅沼峠 ほとんど舗装された林道を歩く。土の道は、菅沼峠の南斜面にわずかに残るのみ。

菅沼集落

冬は無人となる。過疎化の象徴的な集落。

写真 今井菅沼分校跡

三界万霊地蔵 / 虫川関所

三界(過去、現在、未来)の万霊を供養する地蔵様。向かいに清水が湧いている。先人も喉をうるおしたであろうか。
虫川関所 永禄10年(1567)には、口留番所として荷役の取締りを行っており、江戸時代には、山口関所と同様に塩の道の関所となった。虫川は、冬は無人となる集落。冬期は大谷内より南は通行止めとなる。
写真 センマワセ岩壁の子安地蔵
写真 待て待ての沢斜面の古道 待て待ての沢(孫三郎の沢):お化けが通行人に「待ってーー」と声をかけたことから。ここより海側へ500m古道が残る。海側の入り口は解りにくい。
中谷内 追分という、地名があり、交通の要所であった。六地蔵の道標があるが、道路拡張時に姿を消したとのこと。塩の道には、牛つなぎ石が残る。
霊源寺 霊源寺の西に今井城址がある。木曽義仲の家来、今井兼平が倶利伽羅峠の合戦の前に陣取った山城。境内参道には、石仏が溢れる。
写真 今井 大谷内

岩木越え / 堤防跡 / 須沢諏訪神社 / 須沢競り場

岩木越え 御手洗川から糸魚川内水面漁業協同組合養魚所までの20分ほどの行程であるが、古道の趣を残している。ただし、木が生い茂り、佐渡見平以外では、眺望はない。
堤防跡 江戸幕府による、姫川の氾濫に対する、堤防跡がある。近くには、水神宮を祀る。また、右岸には、水神宮と水前神社を祀る。
須沢諏訪神社 狛犬や鳥居は、尾道の石工の作で、北前船で運ばれてきた。
須沢競り場 谷内川 須沢村内を貫流している谷内川(八千代川)は、北前船の荷を陸揚げするための小舟の水路であった。また荷が競り売りされたことから「セリバ」という地名が残っている。西廻り・塩の道の起点である。
店舗写真

information塩の道インフィメーション

塩の道峠窯

〒399-9422
信州長野県北安曇郡小谷村栂池高原623
TEL.080-1160-8288

古道 塩の道 MAP


小谷道の駅にて販売