西廻り 塩の道

西廻り塩の道は、平岩にて、「塩の道・千国街道」と分岐し、姫川左岸を須沢まで至る。険しく整備も十分でなく、牛も使えず歩荷が主流で、「虫川歩荷」という言葉がのこる。西廻り塩の道は、葛葉峠を下り、平岩集落にて、大網橋を渡る、塩の道・千国街道と分岐し、平岩集落の上部を、姫川と大所川を巻くようにつけられ、大所集落へと続いていた。大所集落からは、大所川を吊橋で渡り、山の坊へと至り虫川関所を通り、青海須沢村内を貫流している、北前船の荷を陸揚げするための小舟の水路であった谷内川(八千代川)へと続いた塩の道である。

雨飾山 西廻り塩の道
西廻り塩の道が貫る姫川西岸の集落から姫川越しに、眺望する雨飾山は勇壮である。

大峰峠・夏中 塩の道

大所庚申塔
  大所集落から吊橋跡へ
大所吊橋跡
佛岩 近くに2体の大日如来が安置されている。
須合棚田
須合より雨飾山
山之坊馬頭観音
大峰峠直下の水場の大日如来

西廻り・塩の道は、山之坊から大所川へと下った。川岸には、「荷付場」 という地名がのこる。須沢から荷を背負ってきた、歩荷は、ここで、信州の歩荷へ、荷を引き継いだ。

大峰峠 地蔵様
大峰峠付近から高波の池 水面に明星山の姿を映す。

大峰峠 標高667m、大峰峠付近には、早春に水芭蕉、夏にササユリが咲く。
地蔵様 天保13年(1842)、糸魚川の原山地蔵の兄弟であったが、信州へ行くことになった。しかし、大峰峠で、急に重くなり、動けなくなったことから、 ここに鎮座したと伝わる。

大峰峠北側の塩の道


写真           
延命地蔵
夏中地蔵
桑の巨木 糸魚川市の天然記念物に指定されている。桑は蚕の食草であるため、集落の中で、大木が残ることは珍しい。
夏中棚田 田植え時期、水田に映える明星山は素晴らしい。東山関所跡 寛永2年(1625)の小滝村古地図に記載されている
小滝川地蔵 この付近に、小滝川を渡る吊橋があった。対岸には、諏訪神社と2寺院があり、この地を「寺の前」と呼ぶ。
小滝川

翡翠と塩の道

古代には、2つの翡翠文化圏が確認されている。ひとつは、メキシコ・グアテマラを中心とする、オルメカ・マヤ・アステカの各文化であり、もうひとつが、糸魚川・姫川の支流、小滝川が起点となって、日本各地へと翡翠が運ばれた文化である。明星山の麓、小滝川にて産出された翡翠は、加工され縄文・弥生・古墳時代に、大珠・勾玉・丸玉・丸輪が作られ、運ばれた。翡翠加工工房の遺跡も出土している。出雲大社の重要文化財に指定されている勾玉は、化学成分鑑定より、この地の翡翠と証明され、「古事記」にある出雲の国、大国主命と越の国、奴奈川姫の求婚神話を裏付けている。「塩の道」が「翡翠の道」と云われる所以でもある。

菅沼峠・須沢 塩の道

西廻り塩の道は、藪がひどく、道の整備も悪く、当時は、姫川右岸の、塩の道・千国街道に比べ、悪路であったと云われています。現在は、車道がほとんどのルートであるため、車を使用しての散策が、積雪期以外ができます。

不動滝 落差70m3段 雪解けのころは勇壮、隣に糸滝も落ちる。
岡集落 古道 北陸道の難所「親不知子不知」の迂回するルートも、岡を通っていた。上路ー橋立ー岡ー根知 上路道と呼ばれた
朝霧地蔵 朝霧沢/字切沢(アザギリサワ)の降口(旧道)寛永3年(1791)小滝の男衆が梶屋敷へ年貢を納めに行った帰りに雪崩にあい、死者5名がでる惨事があり、その供養に建立した。
やしょう池

謙信・信玄像 「菅沼峠にある。越後と信州でどちらが、謙信、信玄かで見解が分かれる。大きい石仏が越後側に鎮座しており、そちらが謙信で問題はないようである。塩の道由来の故事、「儀塩」からも謙信に一票!

塩の道 岡ー菅沼峠 ほとんど舗装された林道を歩く。土の道は、菅沼峠の南斜面にわずかに残るのみ。

菅沼集落 冬は無人となる。過疎化の象徴的な集落。
今井菅沼分校跡
三界(過去、現在、未来)の万霊を供養する地蔵様。向かいに清水が湧いている。

虫川関所 永禄10年(1567)には、口留番所として荷役の取締りを行っており、江戸時代には、山口関所と同様に塩の道の関所となった。虫川は、冬は無人となる集落。冬期は大谷内より南は通行止めとなる。

センマワセ岩壁の子安地蔵
待て待ての沢斜面の古道 待て待ての沢(孫三郎の沢):お化けが通行人に「待ってーー」と声をかけたことから。ここより海側へ500m古道が残る。海側の入り口は解りにくい。
中谷内 追分という、地名があり、交通の要所であった。六地蔵の道標があるが、道路拡張時に姿を消したとのこと。塩の道には、牛つなぎ石が残る。
霊源寺 霊源寺の西に今井城址がある。木曽義仲の家来、今井兼平が倶利伽羅峠の合戦の前に陣取った山城。境内参道には、石仏が溢れる。
岩木越え 御手洗川から糸魚川内水面漁業協同組合養魚所までの20分ほどの行程であるが、古道の趣を残している。ただし、木が生い茂り、佐渡見平以外では、眺望はない。
堤防跡 江戸幕府による、姫川の氾濫に対する、堤防跡がある。近くには、水神宮を祀る。また、右岸には、水神宮と水前神社を祀る。
須沢諏訪神社 狛犬や鳥居は、尾道の石工の作で、北前船で運ばれてきた
須沢競り場 谷内川 須沢村内を貫流している谷内川(八千代川)は、北前船の荷を陸揚げするための小舟の水路であった。また荷が競り売りされたことから「セリバ」という地名が残っている。西廻り・塩の道の起点である。