頼朝が善光寺参詣した古道

1197年(建久8年)、源頼朝が善光寺を参詣と伝わる。草津温泉から志賀高原渋峠を越え、善光寺へと向かう「古道草津道」を歩き、頼朝の足跡を追う。

西暦   源頼朝と善光寺 出展
1187文治3信濃の豪族に善光寺再建を厳命吾妻鏡
1189文治5奥州合戦
奥州から鎌倉への途中湯治のため草津温泉により、善光寺へ向かった
1191建久2善光寺再建
1193建久4頼朝草津の湯発見三原野狩
1195建久6頼朝が善光寺参詣を計画吾妻鏡
1197建久8源頼朝が善光寺を参詣
高い舟着神社(舟つなぎ石)より、遠洞湖(現延徳田圃)に舟を浮かべて飯盛松の見事さをめでたと伝わる

おすすめバスツアールート

日目 ➡:バス移動 ~:徒歩

昼食 バス内弁当 ➡ 道の駅草津🚾 ➡ 志賀草津道路 ➡ 国道最高点(ガイド合流)➡ 渋峠 ➡ のぞき ➡ 田ノ原湿原 ~ 三角池 (歩行1時間)➡ 志賀草津道路 ➡ サンバレースキー場🅿 ~ 西国三十三観音 ~ 沓野 (歩行3時間)➡ 宿泊施設

日目 

宿泊施設 ➡ 佐野 ~ 更科峠 ~ 更科 ~ 新井舟着神社(歩行3時間)➡ 昼食 ➡ 善光寺(頼朝所縁の地散策)

見どころ

国道最高点 白根山噴煙 浅間山 富士山 芳が平の眺望

国道最高点 草津白根山、芳が平の眺望 草津道は、草津温泉から渋峠の間、芳が平(ラムサール条約)を貫ける。

芳が平
渋峠 親子地蔵
ノゾキ 草津道の難所
田ノ原湿原 峠越えの牛はここで喉を潤した
三角池 ヒカリゴケ(光るメカニズム説明)

西国三十三観音(峠の観音様)

志賀高原の中腹から渋温泉までに、古道を見守る観音様が土の道に祀わられている。古道草津道最大の見どころ。https://fumoto.info/zen/kusatu/index.html このページに三十三観音すべて掲載

沓野(くつの) 馬頭観音

沓野集落は、草津道の物量輸送の中心的な役割を果たしていた。

牛馬の治療をしたと伝わる、馬頭観音群

佐野 道標 右 松代街道
頼朝が越えたと伝わる更科峠
更科峠 馬頭観音道標 左田中志ぶかくま (湯田中温泉、渋温泉、角間温泉)
更科峠~更科集落 土の古道が残る
更科道標 左田中道
新井舟着神社 舟つなぎ石 頼朝はここから「遠洞湖」に舟を出し遊覧した。石には穴が空けられている

善光寺周辺

紫雲山頼朝院十念寺(善光寺七寺) 建久年間の創建で源頼朝公を開基
駒返り橋(善光寺七橋) 1197年(建久8年)頼朝が善光寺を参詣した折、駒(馬)の蹄が穴に挟まってしまったため駒を返したという

宿泊施設において、プロジェクター投影ができるのであれば、食事中等、希望に応じて写真の紹介と説明を行います。

● 信州の絶景 過去テレビ放映された写真20枚ほど(下記写真等)

● 塩の道 著書「古道塩の道」より紹介

● 古甲州道・古冨士道 東京府中~大菩薩峠~甲斐府中(甲府)までの古道紹介

「ずくだせデレビ」古道シリーズ(過去4回放映)の内、3回をガイドしました。下記動画は、予告CMで放映されていたもの。写真をクリックすると再生します。

 参考 テレビ放映ページ

新聞等のメディア掲載された記事

自己紹介

 府川公広 fukawa kimihiro  1958 4 18  神奈川県平塚市生まれ 東京理科大学薬学部卒 北里研究所にて大村智先生(ノーベル生理学・医学賞受賞)に指導いただく。 I ターンにて信州栂池高原に転居、現在中野市在住 小谷村戸土産「自然の恵みクロモジ茶」販売

 古の人々の知恵/祖先からの言い伝えを活かす生活を学ぶことに主眼を置いたガイドです。私自身、歴史が詳しい訳ではありませんが、先人が遺した石仏の情報から古道の道筋を類推しながら歩く、過去の災害の経験、伝授から先人は、災害から身、生活を守るために、生活の場をどこに設定し、道筋はどこか、橋はどこに架けたのかを考えながら歩きます。