塩の道千国街道の大町から善光寺へと向かう道も、善光寺街道と呼ばれる。主に北国西脇街道の裏道として利用された。善光寺は、宗派、性別を問いことなく参拝ができる寺院であり、関所において「入り鉄砲に出女」とも言われる取り締まりを強化する中、女性は道中、関所を避けて道中を旅した。徳川家により、設置された街道ではなく、関所がないことが最大の理由と思われる。また、この道は、大町が、塩の道/千国街道の主宿場でもあり、信州への塩の道、千曲川への物流の道として自動車社会の道が整備されるまで主役の道筋であった。 当サイトでは、大町峰街道、土尻川街道 および 信州新町、北国脇街道に合流して善光寺へと向かう 水内橋街道、鹿谷/篠ノ井信級通り、左右/篠ノ井信級通り、稲荷山通り、松本街道、八幡道 に分けて記載した。
大町峰街道 土尻川街道
大町~美麻
善光寺街道は、美麻湯ノ海にて大町峯街道と土尻川街道に分岐する。大町から湯の海までは、乗越峠経由と向経由の道があった。
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大町―乗越峠ー大塩ー新田
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大町―向ー湯ノ海
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大町峰街道
湯ノ海―萩野ー立屋
筆者は、やまみち=行くな と解釈している 割れており下部がない
川中島合戦の際、武田方に味方した、戸隠三院の人々は、上杉軍に追われかつて戸隠神社の荘園であった、小川村の筏ヶ峰(いかだがみね)に移った。武田家は滅亡しましたが、上杉景勝が関ケ原で敗北し、米沢へ移されまでの30年この地で過ごしました。
玉泉寺では、1日2回、鐘が突かれています。11:30/15回と夕方/9回です。夕方の鐘は6月~18時 10月~17時です。従来は12時に突くのが普通なのですが30分早く鐘を突くことにより、正午には家に帰れる配慮だそうです。また、突く回数ですが、12時は12+3で15回、18時は6+3で9回、+3回は捨て鐘と言い、余裕を持たせる意味だそうです。歩かれる方は、11:30になりましたら、是非お聞きください。山里に響く鐘の音は、大町峰街道の一番のおすすめです。
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茂官ー大安寺
美麻湯の海より、峰伝につけられた道は、この土尻橋にてはじめて土尻川を渡る。善光寺までは、あと裾花川を渡るのみで、千曲川、支流の犀川を渡ることなく、大町と善光寺を結ぶことができる街道であった。
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土尻川街道
湯ノ海ー千見ー高府
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大安寺ー善光寺