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儀塩 謙信が宿敵信玄に塩を送った塩の道 大町ー海ノ口ー佐野坂 

電話でのガイド依頼はTEL.080-1160-8288 

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大町・仁科三湖 塩の道    ← 高瀬川左岸  白馬・姫川源流 →

塩は、糸魚川から大町まで通常6日かけて運ばれた。「一日追い」と言われた、最速の歩荷では、生魚・塩魚を運んだが、糸魚川を午後4時に出て翌夕方に大町には着いた。松本へは翌々朝に運ばれていた。


大町市借馬 早春、塩の道沿いの水田に、北アルプスが影を映す

コースガイド

霊松寺

山門は、明治の廃仏毀釈によって廃寺となった松川村の同じ曹洞宗の観松院からの移築されたもの。霊松寺の安達達淳住職は廃仏毀釈にさからい、住職の知恵で廃寺となることを免れました。また、明治政府に太政官廃仏令法改正を促しました。          本堂天井の啼龍

○○○祭りイメージ

塩の道ちょうじや / 旧塩の道博物館

塩の道ちょうじやは、旧塩の道博物館です。江戸時代の庄屋で塩問屋を営んだ平林家の屋敷を保存しながら、当時を紹介しています。館内には、牛方や歩荷の使用した道具、着衣、番頭箱などの生活道具を展示している。 流鏑馬会館を併設している。

              塩の道ちょうじやホームページ


庚申塔道標 / 馬頭観音 / 大黒天

庚申塔に道標を刻む。「右 善光寺街道」「左 越後道」昔は、道の名前は、目的地で呼んでいた。塩の道が、糸魚川では「松本街道」と言われていたことも同様です。
大黒天 嘉永5年(1852)に高遠の石工によって削られ、大黒町の地名の由来になっている。松本平では、最大にして最古である。

若一(にゃくいち)王子神社

国の重要文化財の本殿は、安土桃山時代の様式をとどめる。弘治2年(1556)年建立。県宝、三重塔や観音堂が残り、神仏習合の影響を残す。


静御前の従者の墓 / 三橋堂

静御前の従者の墓
静御前が源義経を追い大町に来た言い伝えがある。美麻の大塩にも「静の桜」がある。
三橋堂 農具川に架かっていた3本の橋に由来する。

森城址 / 阿部神社

森城址 仁科氏の城で、木崎湖の地形を利用して、建てられている。後に小笠原氏が城主となった。
阿部神社 仁科神社とともに、森城址にある。阿部氏は大和朝廷と関係が深く、仁科氏の祖先とも言われている。 
○○○祭りイメージ

西海ノ口 石仏群 / 上諏訪神社

西海ノ口 茅葺屋根のお堂には、庚申塔などの石仏がある。塩の道を歩くにあたり、こういった情景が楽しみである。
上諏訪神社 所有する「銅戈(どうか)」は弥生時代後期に作られたものがこの地へ伝来したと伝えられている。中部地方以北ではめずらしく、今のところ発見された銅戈の北限。


西海ノ口 石仏群 / 上諏訪神社

海口庵 海の口村の百体観音がここに集められている。二十三夜塔には、勢至菩薩が彫られている。
○○○祭りイメージ

一津遺跡 / 農具川

大糸線海ノ口駅と木崎湖湖畔との間から発掘された縄文時代後期、晩期の遺跡。翡翠原石がここに運ばれ、丸玉などへの加工がおこなわれていた。姫川支流の小滝川の原石が内陸部のこの地で加工されていた遺跡の発見の意義は大きい。
農具川 青木湖に源を発し、中綱湖、木崎湖を結び、大町市社で高瀬川に合流する。写真は、農具川に架かる丸太橋。塩の道では唯一の丸太橋です。


仁科三湖


木崎湖

中綱湖

青木湖

佐野坂 西国三十三観音

文政12年(1829)高遠石工作、言葉はいらない力作! 塩の道で、いちばん癒される古道です。
個々の観音様を良く見ると、鼻、目、等が欠けています。決していたずらではなく、昔の風習で、病に侵されている部分を撫ぜて願掛けした余波です。


店舗写真

information塩の道インフィメーション

塩の道峠窯

〒399-9422
信州長野県北安曇郡小谷村栂池高原623
TEL.080-1160-8288

古道 塩の道 MAP


小谷道の駅にて販売