塩の道・千国古道は、もう一つの風林火山とも云われる。そのメイン舞台が、ここ地蔵峠越えに余波が残る。地名、「貝の平」「地団駄」そして、眼前の平倉山、平倉城址ここで、武田軍が上杉方、飯森十郎盛春を攻め城を陥落させた。
長者平からは、信越の国境の「大網峠」「アワガ峠」「鳥越峠」が眺望できる。
コースガイド
枠ころばし / 貝の平(けえのびら)
枠ころばし 牛が暴れてコントロールができなくなった際、枠の中に足を入れて脅かしたという。塩の道は、急斜面にトラバースにつけられており、雪崩により木は生えていない。
貝の平 戦国期、武田・上杉の攻防の中で、武田軍が、上杉方の平倉城、飯森十郎盛春を攻めた。謙信は援軍を引き連れ、地蔵峠を越えて、ここまで来たときに、家来に、ほら貝を吹かせ、援兵が到着させたことを知らさせた。しかし、平倉城は陥落した後であった。謙信が腰を下ろした場所には草木が生えないと云われる。
地団駄 / 観音菱
地団駄 上杉の援軍が、平倉城が武田軍により落城させられたときの火の手をここから見て、地団駄を踏んだことから地名が由来している。
観音菱 急斜面の岩場の絶壁に道を開いた場所で、難工事であり、犠牲者がでたことから、その供養に観音様が安置されている。
地蔵峠
地蔵峠は、標高、1,036mに位置する。尾根に沿って広場があり、奥に地蔵堂があり、地蔵菩薩が安置されている。
乳房の木 / ブナ原生林を貫く塩の道
乳房の木 センノキ(ハリギリ)の大木。地蔵峠直下にあり、目通り5.8m、樹高約15mで、幹に乳房に似た5つの大きなコブを付けている。母乳の出ない人の信仰の対象であり、母乳に悩む人々がここまで祈願に来たと云われる。。近年、乳房の木は朽ちてきている。
北斜面のブナ原生林 見どころのひとつ。原生林を貫く生活道は、日本では貴重である。塩の道を見下ろす位置のブナに、「牛の顔」を持つ木がある。探してみてください。生活道とは、登山、ハイキング、信仰等の目的で造られた道ではなく、生活を営むために自然発生的に発生した道である。
大峠・三坂峠 / 長者平
跡杉山の東西に、それぞれ、峠がある。東が「大峠」、西が「三坂峠」である。 西の「三坂峠」は、北側が大きく崩壊してからは、「大峠」が使われた。「大峠」には風化した石仏が祀われている。
大和朝廷「官道」 「官道」は、飛鳥時代より整備され、大和朝廷が地方の交通網を整備する中で、大宝律令(710)により馬制が配備された。「塩の道・千国古道」は、幹道/東山道の脇道としての「官道」であった。保存されている、古文書から「三坂峠」の文字が3件発見されている。みさか峠の
みさかは、神坂、御坂、深坂とも表記されるが、「官道」の峠につけられている地名である。故に、塩の道・千国古道は「官道」であったと推定される。
長者平 戦国時代には、70戸ほどの住居があったが、武田軍により焼け払われた。