古道塩の道 謙信が宿敵信玄に塩を送った塩の道 横川ー鳥越峠ー道標ー戸土 

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鳥越峠・戸土 塩の道     ← 地蔵峠・長者平  東道古道 →

今は、常住する住人がいない集落、横川、戸土を「塩の道・千国古道」は貫ける。糸魚川静岡構造線の大断層線の影響か、この二つの集落は、崩壊が続いている。歩くだけで、古を感じ取ることができる、塩の道です。横川の六地蔵、戸土の道標、この二か所は、非常に心打たれた石仏です。


横川六地蔵、杉の根本に一体一体苔が、素朴な地蔵様を覆う 自ずと手を合わせ涙がでる。雪崩により、立てていても倒れてしまうので寝かせてある。廃村となった横川集落を見守るとともに、そこを訪れる私たちに古のメッセージを伝えています。

コースガイド

横川 / ブナ巨木

横川集落 戦国期には、70戸の住居があったとされるが、平倉城の落城で、武田軍が、越後へと進撃したさいに、焼く打ちにあった、江戸時代に入るまでは、横川は、塩の道の往来が多く、歩荷宿など、歩荷や牛方を泊めた宿や、牛の餌だけでも商売になった。大網橋が造られ、大網峠を越えるルートが塩の道の主流となり、住民はすくなくなり、今は誰も住んでいない。
伝行ブナ巨木 塩の道から実質10mも離れていない位置ではあるが、わかりずらく近年発見された。株立ちで、目通り8m70p、樹高35m 日本で一番太いブナではないだろうか?

殿行一本杉〜鳥越峠

横川六地蔵〜殿行は、未だ地すべりが続く、最近も神城断層地震が成26年11 月22日にあり、大断層の影響を受けていることが実感できる。塩の道は、殿行一本杉にて、「アワガ峠」と「鳥越峠」へと分かれるが、「アワガ峠」は現在通行不能である。鳥越峠までは、九十九折で、途中、観音様が安置されている。和む時間である。
鳥越峠 峠からの眺望はない。小さな地蔵様が往来を見守る。

写真 積雪期の峠付近、峠北、林道からの頚城山塊

鳥越峠の東側には、糸魚川根知から小谷温泉へと続く、「湯道」が通る。地帯には、ブナの巨木が多く、ぜひ訪れたい。「灯台ブナの森」と名付けた。





灯台ブナの森

ここのブナは、積雪期に幹を伐採し、橇にて麓に炭にするために運ばれた。したがって、奇怪な姿の巨木である。
ここほど、深呼吸したい場所が他にあるだろうか?
























戸土道標 / 湯道 / 戸土集落

戸土道標 温和な顔立ちの地蔵様。背あてに、陽刻にて、「左 ゆみち」「右 よこ川」と彫ってある。湯道は、小谷温泉への湯治道、横川へは、アワガ峠を越えて横川を向かう道を示す。今はいづれも廃道である。
湯道 戸土より八百平(廃村)、湯峠を通り小谷温泉までの越後の人の湯治の道。写真は湯峠付近からの晩秋の雨飾山。
戸土集落 長野県(信州)にて村里から日本海が見える唯一の集落。今は、永住者はいない。写真 積雪期の戸土より頚城山塊。

諏訪信仰「薙鎌打ち神事」

薙鎌打ち神事は、諏訪大社式年造営御柱大祭の前年にあたる丑年に、小谷村戸土の小倉明神で、未年に、境の宮にて行われる。」古くは、信越の国境を示し、諏訪明神の神威の直接およぶ範囲を示す神事であったとも云われる。「薙鎌」は、諏訪明神の神器で、諏訪神の信州開拓の象徴であり、「なぎ」が「凪ぐ」に通じることから風雨鎮護、諸難薙ぎ祓うの意味ともいわれる。丑年と未年の8月最終日曜日に、中谷の大宮諏訪神社に、薙鎌をひとつ納める奉告献祭がおこなわれ、その翌日、薙鎌打ち神事が行われる。諏訪大社宮司が薙鎌をご神木へ木槌で打ち込む。諏訪からの宮司一行は、途中、宮司一行は、白馬切久保諏訪神社「お頭の木」、中土ガニ原「お頭岩」にて、薙鎌を休ませた。
古道と諏訪信仰の関わり合いのひとつである。
店舗写真

information塩の道インフィメーション

塩の道峠窯

〒399-9422
信州長野県北安曇郡小谷村栂池高原623
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小谷道の駅にて販売