徳川幕府は、五街道を制定し、また五街道から分岐した往還道を管轄していました。一般に善光寺街道とは、中山道を追分宿にて分れた、北国往還道(北国街道)と洗馬宿にて分れた北國西脇街道(北国往還道)を言います。また、飯山街道、下街道、など 善光寺へと向かう道を「善光寺街道」という地域も多数あります。また、善光寺へ向かう道には、裏街道が発達しました。裏街道には、入り鉄砲、出女に厳しい関所ないことから、男女、宗派を問わず、受けいる善光寺詣でに歩く人が多かったようです。
上記道に共通なことは、目的地であります「善光寺」の文字が刻まれた道標が、古より現代に遺っていることです。
善光寺と刻まれている古道に佇む道標をご案内します。古道歩きは石仏のオリエンテーリングの重要ポイントです。
篠ノ井道標
ぜんく王うし道平出追分道標
是より右善光寺みち新井道標
右善光寺
洗馬追分道標
左北国往還善光寺道会田道標
左せんかうし道稲荷山道標
左せんこうじ道
足滝馬頭観音道標
左善光寺西大滝道標
左善光寺ぜんこうじ三才道標
右善光寺
谷街道 箕輪道標
右ぜんこうじ谷脇街道 小布施道標
右 まつしろ せんく王うじ道谷脇街道 八幡追分北の道標
右 せん光寺道
草津道 田中道標
左 善光寺道草津道 夜間瀬庚申塔道標
左 善光寺大笹街道 仁礼宿道標
左 せん光寺
大町峰街道 湯ノ海道標
右善光寺道大町峰街道 七通道標
左せん〇〇〇大町峰街道 赤柴道標
右新町左善光寺
大町街道 乗越峠馬頭観音道標
左ハ善光寺道大町街道 向口道標
左せんくハうし とが久し信州新町 奈津女橋道標
左ぜんこうじ
下街道 大曽根道標
左江戸みち ぜんく己うじみち下街道 内津峠道標
左 江戸 善光寺下街道 多治見橋道標
左江戸 善光寺
古の先人が、刻み遺した道標に込める思いを想像しながら歩くところに古道歩きの楽しさがあります。路傍の道標の文字は判読できないことがほとんどです。指の腹で撫でて、心眼で読む?そこに「善光寺」が浮かんでくるときの感激は都度忘れません。
古道が遺る里山を歩いていると、在来種のクロモジの木に出会います。古道の情報を届けておりますが、古道調査の資金の調達のためクロモジを加工し、自然の恵みクロモジ茶の販売(通販)をいたしております。