塩の道/儀塩所縁の古道

千国街道 千国古道 西廻り 仁科街道

 塩の道とは、内陸部の地域へ海(または川を上った最終地点)から、塩を運び、双方からの物資が流通した道のことです。全国「塩の道」と呼ばれる古道はいくつかありますが、糸魚川ー松本ー塩尻の 塩の道千国街道は有名です。故事「義塩」/敵に塩を送る(戦国の世、謙信が信玄に塩を送ったといわれる逸話)からでしょうか?

糸魚川~松本までの塩の道を千国街道と名付けたのは、当時その道を利用していた旅人ではなく、後世において歴史研究家の方が、名付けた名称で、目的地を道の名前として呼称する法則にはあっていない。

古道 塩の道とは
 塩の道とは、海または、川舟の終着から内陸地へと、塩が運ばれた道の通称である。松本~糸魚川までの、塩の道は、途中の小谷村千国宿から名が由来し、千国街道と呼ばれている。「塩の道=千国街道」と解釈されるようになったのは、その道筋に、古道がそのままの姿を残す景色が残っている魅力からと思われる。


なぜ古道が残ったか
 「千国街道=塩の道」北部は、大断層、糸魚川ー静岡構造線に沿うように流れる姫川とともに、白馬佐野坂から糸魚川へと道が続いている。2014年11月の長野県神城断層地震は、記憶に新しい。姫川は白馬佐野坂親海(およみ)湿原より日本海へと注ぐ大河であるが、13/1000という急流であり、姫川とその支流が白馬連邦の水を集めることによって土石流、鉄砲水等災害が発生し、流域集落を苦しめてきた。古の知恵であろうか白馬村塩島から北は、姫川を渡ることはあっても、その道筋は、姫川沿いの道を避け山間部につけられていた。また、車社会へと変遷していくなかで、道は、大河に沿うように、トンネルを掘り、平坦に造られた。糸魚川から白馬へと南下する、国道148号線も姫川沿いにつけられ、「千国街道=塩の道」は生活道としての役割を終えた。このことが幸いにも、今の私たちに「古道」をその姿のままのこしていただけた大きな理由となった。
           「千国街道=塩の道」は塩を運んだ以前からの歴史がある
縄文時代「翡翠の道」

 平成6年、青森県三内丸山遺跡の発掘にて、信州「和田峠」の黒曜石と共に、「糸魚川」の翡翠が出土した。古代には、2か所の翡翠文化が確認されている。すなわち産地は、世界で2か所であった。ひとつは、メキシコ・グアテマラを中心とするオルメカ・マヤ・アステカ文明であり、もう一方は、糸魚川、姫川の支流の小滝川である。出雲大社の重要文化財、翡翠玉は、化学鑑定により、糸魚川産原石由来と証明されている。塩の道が翡翠の道と言われる由縁である。
神話の時代 大和朝廷「諏訪様入信の道」
 越の国の「奴奈川姫(ぬながわひめ)」は、出雲の国の王である「大国主命(おおくにぬしのみこと)」と結婚し、「建御名方命(たてみなかたのみこと)」を授かった。大国主命は建御名方命を連れ出雲に帰った。このころ大和朝廷が権力を持ち、出雲と交渉し、国譲りがおこなわれた。しかし、建御名方命は、これに反し戦い敗れ、母の国、越から信州諏訪の地へと逃れた。この道が、塩の道であるとは言い難いが、塩の道沿いに諏訪へと進んだと想像できる。後に、大和朝廷と和解し、この地の祭神、諏訪様として祭わられた。御柱祭の前年に、信濃の国と越後(越の国)の境にある、小谷村戸土部落の神社(境の宮の小倉明神で交互)にて、諏訪明神の神威である「薙鎌の神事」がおこなわれる。建御名方命が母、奴奈川姫の越の国への思からの神事とも言われている。

おことわり 道は、目的地(終着)の名をつけて呼ばれることが多い、松本~糸魚川の「塩の道」の呼称としても
「松本街道」「糸魚川街道」「仁科街道」「越後道」などがあるが、ここでは、「千国街道」として表記した。またその中でも使い方は下記に準じた。また、Goole MAPにおいて、スポットの色分けをした

以下、下記分類にて記載します。

千国街道 広義:松本~糸魚川までの「塩の道」

千国街道 狭義:松本~燕岩~葛葉峠~大網峠~糸魚川
    (次の千国古道に対しての呼称)

千国古道 燕岩~地蔵峠~御前山~水保

西廻り  平岩~大峰峠~菅沼峠~青海 

仁科街道(奈良井川左岸)高松~小柴~南栗~町神~小俣~今村~岩垂~本洗馬~洗馬

地名「塩尻」

信州において、「塩尻」という地名は、私の知る限り、3ケ所あります。塩尻市-中山道 上田市-北国街道 栄村-善光寺街道西道 共通点は、日本海からの塩の終点と太平洋からの塩の終点が一致している場所です。因みに、日本海からの塩のほとんどは、瀬戸内海地方にて作られた塩が北前船にて運ばれた塩です。

塩の道 概要

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千国街道 千国古道 西廻り 仁科街道

小谷村戸土「境の宮」のご神木には「薙鎌神事」にて打たれた薙鎌が遺る。

諏訪信仰の道 塩の道/千国街道の道筋のほとんどの神社は諏訪神社です。諏訪大社の祭神「建御名方命」(たてみかたのみこと)が、出雲の国大国主命と越の国(越後)の奴奈川姫の子で、出雲を追われ、姫川沿いに諏訪へと入信したと伝わる。その道筋が、千国街道と重なるといわれる。小谷村戸土は、信州の里から唯一日本海が眺望でき、越後と信州の境であり、母、奴奈川姫を偲ぶ由縁の神事として、未年に「境の宮」丑年に「小倉明神」にて、薙鎌の神事が行われいる。

ヒスイの道 ヒスイは国石と指定されました・翡翠はふたつの文化圏があり、メキシコ・グアテマラ・を中心とするオルメカ・マヤ・アステカの各文化とここ小滝から日本各地へとヒスイが運ばれた文化であr、塩の道はその流通に使われていた。ヒスイ加工遺跡は、糸魚川市はもちろん、大町市木崎湖畔に発見されている。

塩の道/千国街道ホームページ

 塩の道の里山を歩いていると、日本固有種のクロモジの木に出会います。古道の情報を届けておりますが、古道調査の資金の調達のためクロモジを加工し、自然の恵みクロモジ茶の販売(通販)をいたしております。