塩の道 千国古道

塩の道 由来の故事「儀塩」謙信が敵信玄に塩を運んだ 真意はあきらかではないが、年代 から考察し、糸魚川から小谷燕岩までの古道の道筋を千国古道として紹介します。未だ塩の道の中でも、土の道が多く残り、塩の道を歩く当時の旅人と同じような景観を楽しめる。また、諏訪様の入信(信州に入った)ルートと推測される場所も多くあり、それぞれに逸話が伝えられている。

大峯峠・中谷諏訪様入信の言い伝え、史跡、神事が遺る
地蔵峠・三坂峠三坂/みさかと付く呼称は朝廷時代の官道に由来する

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大峯峠・中谷 塩の道

お頭岩は、土谷、塩の道・千国古道沿いにある。「薙鎌打ち神事」が行われる前日、諏訪からの大祝一行が、「薙鎌」を捧持し、中谷大宮諏訪神社へ向かう途中、休息し、この岩に「薙鎌」を安置した。その前日には、白馬の切久保諏訪神社「お頭の木」にて安置している。
ガニ原 ガニとは、「牛の沓」の意、古道がとおる、地名に使われる言葉で、大網峠直下にも「ガニ池」がある。
経塚石仏群 三峯様、御舘神社を祀る。
土谷観音堂 西国三十三観音像が安置されている。
土谷諏訪神社 ご神木の大杉は、「腰掛け杉」と呼ばれている。
大峯峠 「土谷堰」が峠を流れる。峠には、石仏群があり、塩の道の往来を見守る。
土谷堰 土谷川上流より、取水している、全長8㎞の堰。安政6年(1859)に提灯の灯りを対岸から見ることにより高低を判断し、手作業にて完成させている。先人の知恵に敬服させられる。水は、峠を今でも滾々と流れている。
石原白山社大杉 目通り12m、高さ42mの大杉、過去3度の火災があり、大きな空洞がある。
中谷諏訪神社 小谷諏訪信仰の総社を,、本殿は、元和5年(1619)建立、長野県県宝である。諏訪大社御柱祭の前年、信越国境の戸土集落の神事「薙鎌打ち神事」(境の宮、小倉神宮にて交互に行われる)の際、諏訪大社から薙鎌を捧持した宮司が来社し、奉告祭をおこない、戸土へ赴く
例祭(8月最終日曜日)は、神輿行列からはじまり、「獅子舞」「奴踊り」「狂拍子」が演舞される。「奴踊り」「狂拍子」は県指定無形民俗文化財。
玉泉寺 上杉方の飯森十郎盛春の墓がある。飯森十郎盛春は、平倉城の武田軍との戦いにて討死した。
高町、塩の道からの眺望
埋橋 塩の道を往来する牛方、歩荷のために、牛方宿が多くあった。牛方宿とは、牛を追う、牛方と牛が一緒に泊まれる宿のこと。
埋橋より地蔵峠
堅田城址 塩の道から少し東へ入ったところにある。平倉城の北側の守りの拠点であった。城址の脇に「つつみの池」がある。
埋橋~深原までの、塩の道は、幅が広い。牛どうしがすれ違うに十分である。

銭上平道標 「右ハ越後道」「左ハ深原道」と刻む。かつては、塩の道は、ここで、深原集落への道を分岐し、濁沢の「ガニ掛」を経て、地蔵峠へと向かっていた。「ガニ掛」のガニは、「牛の沓」を意味する古称であり、古道の存在を証明する地名である。

大日如来・馬頭観音

深原諏訪神社例祭 花灯篭祭り(9月第一土曜日)4mほどの花灯篭の行列が闇夜に映え、獅子舞も奉納される。
李(すもも)平集落道祖神 小正月の伝統行事。小さなカマクラに子供たちが紙で作った、嫁様と胡桃の木で作った、道祖神を祀る。

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地蔵峠・三坂峠 官道塩の道

塩の道 峠
塩の道・千国古道は、もう一つの風林火山とも云われる。そのメイン舞台が、ここ地蔵峠越えに余波が残る。地名、「貝の平」「地団駄」そして、眼前の平倉山、平倉城址ここで、武田軍が上杉方、飯森十郎盛春を攻め城を陥落させた。
枠ころばし 牛が暴れてコントロールができなくなった際、枠の中に足を入れて脅かしたという。塩の道は、急斜面にトラバースにつけられており、雪崩により木は生えていない。
貝の平(けいのひら)戦国期、武田・上杉の攻防の中で、武田軍が、上杉方の平倉城、飯森十郎盛春を攻めた。謙信は援軍を引き連れ、地蔵峠を越えて、ここまで来たときに、家来に、ほら貝を吹かせ、援兵が到着させたことを知らさせた。しかし、平倉城は陥落した後であった。謙信が腰を下ろした場所には草木が生えないと云われる。
地団駄 上杉の援軍が、平倉城が武田軍により落城させられたときの火の手をここから見て、地団駄を踏んだことから地名が由来している。
観音菱 急斜面の岩場の絶壁に道を開いた場所で、難工事であり、犠牲者がでたことから、その供養に観音様が安置されている。
地蔵峠は、標高、1,036m
地蔵堂 地蔵菩薩

乳房の木 センノキ(ハリギリ)の大木。地蔵峠直下にあり、目通り5.8m、樹高約15mで、幹に乳房に似た5つの大きなコブを付けている。母乳の出ない人の信仰の対象であり、母乳に悩む人々がここまで祈願に来たと云われる。。近年、乳房の木は朽ちてきている。

地蔵峠の北斜面のブナ原生林 見どころのひとつ。原生林を貫く生活道は、日本では貴重である。塩の道を見下ろす位置のブナに、「牛の顔」を持つ木がある。探してみてください。生活道とは、登山、ハイキング、信仰等の目的で造られた道ではなく、生活を営むために自然発生的に発生した道である

大峠・三坂峠

跡杉山の東西に、それぞれ、峠がある。東が「大峠」、西が「三坂峠」である。 西の「三坂峠」は、北側が大きく崩壊してからは、「大峠」が使われた。「大峠」には風化した石仏が祀われている

大和朝廷「官道」 「官道」は、飛鳥時代より整備され、大和朝廷が地方の交通網を整備する中で、大宝律令(710)により馬制が配備された。「塩の道・千国古道」は、幹道/東山道の脇道としての「官道」であった。保存されている、古文書から「三坂峠」の文字が3件発見されている。みさか峠のみさかは、神坂、御坂、深坂とも表記されるが、「官道」の峠につけられている地名である。故に、塩の道・千国古道は「官道」であったと推定される。

長者平 戦国時代には、70戸ほどの住居があったが、武田軍により焼け払われた。

鳥越峠・戸土 塩の道

今は、常住する住人がいない集落、「横川」「戸土」を「塩の道・千国古道」は貫ける。糸魚川静岡構造線の大断層線の影響か、この二つの集落は、崩壊が続いている。歩くだけで、古を感じ取ることができる、塩の道です。横川の六地蔵、戸土の道標、この二か所は、非常に心打たれた石仏です。
横川 六地蔵

横川集落 戦国期には、70戸の住居があったとされるが、平倉城の落城で、武田軍が、越後へと進撃したさいに、焼く打ちにあった、江戸時代に入るまでは、横川は、塩の道の往来が多く、歩荷宿など、歩荷や牛方を泊めた宿や、牛の餌だけでも商売になった。大網橋が造られ、大網峠を越えるルートが塩の道の主流となり、住民はすくなくなり、今は誰も住んでいない。

伝行ブナ巨木 塩の道から実質10mも離れていない位置ではあるが、わかりずらく近年発見された。株立ちで、目通り8m70㎝、樹高35m 日本で一番太いブナではないだろうか?
観音様
峠の地蔵様
鳥越峠

横川六地蔵~殿行は、未だ地すべりが続く、最近も神城断層地震が成26年11 月22日にあり、大断層の影響を受けていることが実感できる。塩の道は、殿行一本杉にて、「アワガ峠」と「鳥越峠」へと分かれる。鳥越峠までは、九十九折で、途中、観音様が安置されている。和む時間である。鳥越峠 峠からの眺望はない。小さな地蔵様が往来を見守る。

鳥越峠の東側には、糸魚川根知から小谷温泉へと続く、「湯道」が通る。地帯には、ブナの巨木が多く、ぜひ訪れたい。「灯台ブナの森」と名付けた。ここのブナは、積雪期に幹を伐採し、橇にて麓に炭にするために運ばれた。したがって、奇怪な姿の巨木である。
ここほど、深呼吸したい場所が他にあるだろうか?

塩の道 戸土 道標
戸土道標
集落跡
雨飾山
頚城駒ヶ岳

戸土道標 温和な顔立ちの地蔵様。背あてに、陽刻にて、「左 ゆみち」「右 よこ川」と彫ってある。湯道は、小谷温泉への湯治道、横川へは、アワガ峠を越えて横川を向かう道を示す。今はいづれも廃道である。
湯道 戸土より八百平(廃村)、湯峠を通り小谷温泉までの越後の人の湯治の道。
戸土集落 長野県(信州)にて村里から日本海が見える唯一の集落。今は、永住者はいない

境の宮 薙ぎ鎌
小倉明神 薙鎌
境の宮

薙鎌打ち神事は、諏訪大社式年造営御柱大祭の前年にあたる丑年に、小谷村戸土の小倉明神で、未年に、境の宮にて行われる。」古くは、信越の国境を示し、諏訪明神の神威の直接およぶ範囲を示す神事であったとも云われる。「薙鎌」は、諏訪明神の神器で、諏訪神の信州開拓の象徴であり、「なぎ」が「凪ぐ」に通じることから風雨鎮護、諸難薙ぎ祓うの意味ともいわれる。丑年と未年の8月最終日曜日に、中谷の大宮諏訪神社に、薙鎌をひとつ納める奉告献祭がおこなわれ、その翌日、薙鎌打ち神事が行われる。諏訪大社宮司が薙鎌をご神木へ木槌で打ち込む

諏訪からの宮司一行は、途中、宮司一行は、白馬切久保諏訪神社「お頭の木」、中土ガニ原「お頭岩」にて、薙鎌を休ませた。

白馬切久保諏訪神社「お頭の木」
中土ガニ原「お頭岩」
中谷諏訪神社