「下街道」江戸時代、名古屋 伝馬会所札の辻から 中山道 槇ヶ根追分までの15里の街道であり、善光寺街道、伊勢道、釜戸道、名古屋道との呼称がある。下街道 は、中山道の大井宿/46と大湫宿/47の間に位置する槙ケ根追分から名古屋城下へと結ぶ道筋である。徳川幕府が制定した五街道/中山道からの名古屋城下への道筋は、伏見宿より、上街道を小牧宿を経る、山道が19里道であったが、下街道は土岐川に沿い、平坦な道が15里であったため、多くの人と荷物の往来があったが、上街道の裏街道扱いであったために、宿場がおかれることはなかった。大名等の公人以外の庶民には、規制がなかったために、下街道の利用が便利であった。したがって、信仰の道としての多く歩かれ、名古屋からの善光寺参り、御岳信仰、信州、木曽方面からのお伊勢参りに利用され、「善光寺街道」「伊勢道」と呼ばれるようになった。今も、道筋に遺る、数々の道標が当時の繁栄を物語っている。
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札の辻~大曽根口
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勝川~内津
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池田~瑞浪
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土岐~槇ヶ根追分
善光寺参りは、下街道を経て、中山道とは槇ヶ根追分にて合流し、中山道を北へ向かい洗馬宿より北国西往還道を善光寺へと向かいました。