北国街道 松代街道

 北国街道 追分宿分去れ~善光寺
  追分宿分去れ 小諸 田中 海野 
  上田 坂城 上戸倉 下戸倉 矢代
  篠ノ井 丹波島 善光寺
  吉田 新町 牟礼 平出追分
  新町宿制定以前の道筋(旧道)
  牟礼-古間ー柏原ー関川
  二俣ー二本木ー新井ー高田
  高田ー木田新田ー今町(今町街道)
 北国街道 高田~出雲崎
  高田ー稲田ー春日新田ー黒井ー鉢崎
  鯨波ー柏崎ー宮川
  椎谷ー石地ー出雲崎
 松代街道 屋代ー布野の渡しー善光寺
  屋代ー松代ー福島ー長沼ー平出追分

北国街道 中山道追分宿にて分岐し、善光寺を経て高田より天領出雲崎までの街道を記載しております。善光寺街道、北国脇街道とも呼ばれる街道である。佐渡から出雲崎に荷揚げされた金が江戸へと運ばれた道。
北国街道は、当初は、松代道/北国東往還と言われ,矢代宿から千曲川右岸を福島宿まで進み、「市野渡し」にて、千曲川を和渡り、谷街道/飯山街道に合流し、善光寺へ向かう道と越後へ向かう北国街道に分岐していた。慶長16年(1611)北国街道に善光寺宿、丹波島宿、矢代宿が開かれ、千曲川を「矢代の渡し」にて渡り、丹波島宿と善光寺宿の間に「犀川の渡し」が置かれた。そして善光寺へと向かう道の主流は、松代道から犀川を渡る道へと変た。千曲川を犀川は大水のたびに川瀬が変わり、それに応じて渡る位置が変わり、「丹波島の渡し」「市村の渡し」「綱島の渡し」が使われた。明治維新までの260年間犀川の渡しは、街道の往来を支えた。  

***

北国街道

追分宿分去れ~小諸~田中~海野

追分分去れ道標
従是北国海道 従是中仙道
北国街道起点 中山道との分岐
赤報隊処刑所
石仏群
濁川 成分の鉄が酸化
地蔵様
明治天皇馬瀬口御小休所
得口神社
長泉寺
馬頭観音堂
筆塚
十石坂迂回路より
十石坂・田切
 シラス台地 川を境に東側:黒い焼石 西側:黄色い軽石
防空壕としての横穴
馬頭観音
平原一里塚跡
馬頭観音
金山宮
長龍寺
石仏
二十五菩薩来迎会
石碑
石碑
光明寺
四ツ谷観音不動堂
 乙女道標
唐松一里塚
供養塔
加増道標 従是一里拾丁追分宿
長勝寺
金宗寺
福徳稲荷大明神
岩船地蔵
海応禅院
宗心寺
光岳寺
地蔵様
脇本陣
 小諸宿問屋場
天王社
供養塔
聖観音
諏訪神社
布引観音碑
道祖神
馬頭観音
青木一里塚
石仏
西光寺
馬頭観音
祠群
道祖神
石碑
双体道祖神
滋野村道路元標
道祖神?
牧家一里塚
力士雷電の碑
筆塚
石仏群
 六地蔵幢
縣諏訪神社
馬頭観音
 長久寺
 法善寺道道標
勝軍地蔵 善光寺地蔵と刻む 火災予防として祀る
乗馬型の将軍地蔵は信州では珍しい
馬頭観音
筆塚
しなの鉄道 旧横須賀線色
田中町役場跡
道祖神
馬頭観音
万田石
白鳥神社
双体道祖神
媒(なかだち)地蔵尊
海野宿
聖観音
本陣跡
馬の塩舐め石
石仏
双体道祖神
住吉神社
馬頭観音
道祖神
大屋仁王尊
大屋神社
東郷元帥が千曲川遊んだ小舟
一里塚跡
天神宮
欅巨木
 観音堂無量庵
石仏群
明治天皇御小休所/仁和寺遺跡
伊波穂神社
太鼓岩
馬頭観音
水天宮/道祖神
愛宕社
石仏群 庚申塔
石碑
 国分寺道道標
石仏群
馬頭観音
道祖神
科野大宮社信濃国総社と推定
信濃国総社と推定
常田毘沙門天堂
日輪寺
宗吽寺

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上田~坂城~上戸倉~下戸倉~矢代

原町市神社
柳町
道祖神
五神社
保福寺道道標北向観音道
右 せん加うし道
諏訪祠
延命地蔵
正福寺
千人塚 寛保2年1742の洪水
長昌寺
馬頭観音
豊秋霧原埜神社石燈籠
一里塚 上塩尻道標
右 北国街道 左 さくば道
此道往還人
地蔵様
相撲碑
鳥居
双体道祖神
道祖神
會地早雄神社
木造釈迦如来像
南条村道路元標
白山社
道祖神
地蔵堂
甲子碑(きのえね)
煙草石碑
道祖神
稲荷神社
西念寺
中之条村道路元標
中条神社
石仏群
甘泉石碑
堂叡山道道標
石仏群
村上義清公墓所
筆塚
横町大神社
心光寺
石碑
坂木本陣跡
桝形
坂木宿常夜燈
道祖神
聖徳太子
笄(こうがい)の渡し
馬頭観音
泉徳治
善光寺供養塔
庚申塔 道祖神
石仏群
石碑
聖徳太子
八幡道道標 左 やハ多 お者すて道
供養塔
供養塔
石碑
石仏群
 寂蒔水除土堤 石仏群
道祖神
石碑
石仏群
生蓮寺
須須岐水神社
伏見稲荷大社
法華寺
明治天皇御小休所
智照院
矢代渡し

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篠ノ井~丹波島~善光寺~新町

矢代渡し
軻良根古神社
篠ノ井追分

右京いせ道 左江戸街道の道標が立っていた。
篠ノ井追分宿の碑が建てられているが、篠ノ井は宿場ではない。 

石碑
供養塔
せんく王うし道道標
歯瘡医殿/はくさんさん
秋葉神社 天神
庚申塔
地蔵菩薩 薬師如来
井戸
原村役場跡
蓮香寺
明治天皇原沸膳水
中津村→昭和村役場跡
石碑
北原大仏
『善光寺道名所図会』(嘉永2年・1849)

北国街道沿いの大仏接待所(手前左)。大仏前を通って江戸へ向かう、加賀侯の参勤交代の行列

北原天満宮
道祖神
 唯念寺
道祖神
新田共同井戸
浄生庵(観音堂)
桝形
於佐加神社
 鐘馗さん飾り瓦
石燈籠
高札場
丹波島本陣
桝形
木戸跡
丹波島の渡し碑
慶長16年 北国街道に善光寺宿 丹波島宿 矢代宿が開かれるともに「犀川の渡し」が置かれ、千曲川の「矢代の渡し」とともに善光寺へと向かう道の主流は、松代道から犀川を渡る道へと変わっていった。

犀川は大水のたびに川瀬が変わり、それに応じて渡る位置が変わり、「丹波島の渡し」「市村の渡し」「綱島の渡し」が使われた。明治維新までの260年間犀川の渡しは、街道の往来を支えた。

丹波島橋石燈籠
水神宮
馬頭観音
姫塚 善光寺七塚
吹上地蔵堂
蓮心寺
木留神社/行人塚/高札場
善光寺七社 善光寺七塚
紫雲山頼朝院十念寺

建久年間の創建で源頼朝を開基とし頼朝が善光寺へ参拝の折、にわかに紫の雲がたなびき、一光三尊の阿弥陀如来が影現し、頼朝に直接十遍のお念仏をお授け頼朝は当地を聖地と定め、一宇を建立し、紫雲山頼朝院十念寺と名付けたと伝えられています

庚申塔
善光寺

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吉田 新町 牟礼 平出追分

長野市道標元標
西宮神社
柏崎塚 地蔵尊 善光寺七塚
 祠 道祖神
石仏
一里塚跡 延命地蔵
上松道標 右 善光寺チカ道 左 三輪村ヲ経テ長野町ニ至ル
道標 志やう道かりた 右ゑちご北山道 左わごう並戸がくし同ぶらんどうやくし
道標 右はきた山道 左きたごう
横山社子神社
時丸寺 善光寺七社
欅巨樹
圓通寺
時丸塚 善光寺七塚
美和神社 延喜式神社
善光寺七社
 道祖神 庚申塔
延命院
 皇足穂吉田大御神宮
延喜の時代 全国68州の一ノ宮
善敬寺
吉田 道標
須坂 山田温泉 草津 小布施
茂呂何丸翁生誕之碑
天周院 六地蔵
茂呂何丸翁句碑
浅川
他力橋

古来天井川であった大雨が降り増水する度に、天井川の土手は必ずどこかで決壊しており、北国街道の道筋にも影響していた。

真照庵
問屋本陣と高札場跡
稲田神社
圓通庵
六地蔵
飯山街道分岐 道標
右 飯山 中野 渋湯 草津道 
 左 北國往還  
薬師寺
十王堂
庚申塔
蚊里田八幡宮
幸い清水
粟野神社 延喜式神社
幸神 庚申塔
國胎寺
稲荷神社
馬頭観音
 船地蔵尊石仏群
石仏群
田子神社
田子観音山
馬頭観音
筆塚
石碑
供養塔
原池観音
聖観音
石碑
石仏
平出追分
平出追分道標
是より左長沼みち
是より右善光寺みち
高山寺
馬頭観音
お堂

***

新町宿制定以前の道筋(北国街道旧道)

鎌倉時代には、親鸞、一遍、日蓮聖人等が通られ、戦国時代には上杉謙信が通られたという由緒ある古道の道筋で、吉田より稲積を経ていたと推定される。浅川が天井川であったこと、たびたび千曲川の氾濫の影響を受けたことで、北国街道は新町宿を貫ける道筋に変遷した。

北国街道旧道ルート
吉田大銀杏
稲田のエノキ 稲積村熊野社の宮跡に立つ、古道はこの付近を通っていた。
稲積一里塚

***

新町宿ができる前の北国街道(旧道)は、この2つの一里塚の間を通っていた。当時の一里塚が姿を留めているのは珍しい。

牟礼-古間ー柏原ー関川

行人塚 三本松
石碑
石仏
四ツ屋一里塚
北国街道の両側に完全な形で遺る
 四ツ屋エノキ
地蔵様
石仏群
庚申塔
牟礼石仏群
牟禮神社
牟礼本陣跡
徳満寺
証念寺
十王坂
十王堂
観音寺
金附場跡
石碑
武州加州道中堺
王蓮寺
旧道分岐
観音平
小玉一里塚跡
土の古道
見坂平
 「神坂」官道に繋がる地名
清水窪 明治天皇御野立所
落影庚申塔
石碑
道標
馬頭観音群
馬頭観音
石碑
坂上神社
供養塔
馬頭観音
大悲院
小古間神社
延命地蔵尊
石仏群
六地蔵
古間一里塚跡
薬師院 秋葉社
古間宿本陣跡
本蓮寺
馬頭観音
古間神社
柏原諏訪神社
小林一茶旧宅
聖観音
戸隠山道道標 従是戸隠山道
柏原宿本陣跡
明願寺
野鍛冶旧宅
柏原上野地蔵尊
鳥居
野尻一里塚跡
馬頭観音 石仏群
馬頭観音
飯山道道標
 従是飯山・川東道
秋葉神社
安養寺
真光寺
土橋神社
馬頭観音
赤川神社 石仏
関川関所跡
浄善寺
高田藩本陣跡
天神社
スキー神社
神明神社

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二俣ー二本木ー新井ー高田

馬頭観音 石碑
石碑
田切諏訪神社
筆塚
馬頭観音 筆塚
西蓮寺
馬頭観音
石碑
二俣五輪塔群
石仏群
興善寺
地蔵尊 馬頭観音
地蔵様
泉地蔵尊
関山神社
慈雲寺
石仏
北沢一里塚跡
石碑
覚願寺
地蔵様
筆塚
諏訪神社
若宮神社
中郷村道路元標
馬頭観音
安楽寺
白山神社
神明神社
馬頭観音
 石仏(馬頭観音?)
神明神社
馬頭観音
加茂神社

新井道標 右善光寺

富倉街道との分岐点

上町延命地蔵尊
極生寺
市神社
願楽寺
石塚の一里塚
康源寺
地蔵様
諏訪社
馬頭観音
地蔵様
出雲神社
明治天皇御小休所
和田村道路元標
瀬渡橋
延命地蔵
願通寺
大和神社
願清寺
弘法の清水
石碑
地蔵尊
馬頭観音
専念寺
神明社
最賢寺
正輪寺
胎蔵院
札の辻
高田追分道標 右おおしう道 左かかみち

本町七丁目交差点から宇賀魂神社境内に移設 北国街道追分は「北国街道」の終点ですが、佐渡の金銀を運ぶ街道として重要度が増し出雲崎まで延長され奥州道とも呼ばれていました。「加賀街道」の始点。

***

高田ー木田新田ー今町(今町街道)

古来より関川(荒川)の河口部左岸には今町(現直江津)の湊が開かれ栄えていました。、北陸道は応化橋(おうげのはし)にて渡っていました。江戸時代になり、松平忠輝が高田城を築城し、北陸道を、高田城下を通過する道筋とするため応化橋は破棄され、その後明治になるまで架橋されることは許されなかった。今町へは木田新田三又路より向かう。今町湊は北前船の寄港地として高田への塩や砂糖・茶・塩魚・鉄・藍玉・瀬戸物などの物資の供給といった重要な湊であった。

陀羅尼八幡神社
陀羅尼口一里塚
白山神社
諏訪神社
木田新田三又路 追分地蔵道標 「左かゝかいたう」「右いまゝちみち」
稲荷神社地蔵道標 「右いまゝちみち」?損傷している

諏訪神社
福成寺
神明宮
蓮光寺
石橋地蔵尊
御館跡
越後安国寺跡
稲荷神社
府中八幡宮
延命寺
林正寺
直江津大神宮
小林百哺塾跡
直江津町道路元標
聴信寺
関川と保倉川合流地点
関川河口 左岸から砂洲が北東へと伸びており、関川右岸と砂洲の間にて渡しが行われていた

おうげの橋(漢字表記 応化、往下、逢岐、王源など)、上杉謙信は、この橋に通行税を課していた。御館の乱(天正6年 1578年)でくずれ落ちた橋を修復されたが、松平忠輝の高田築城と共に壊され高田城下繁栄のため、渡し(上の渡舟場 下の渡舟場)のみとなった。今町湊は北前船をはじめとした大型船の荷下ろしし、今町街道は高田宿から信州へと物資の輸送に利用されていた。

安寿と厨子王供養塔
琴平神社
ライオン像のある館(旧直江津銀行)
夷稲荷神社
福永神社
地蔵様
浜の善光寺

上杉謙信が川中島の戦いにて、信濃善光寺の本尊を武田信玄から守るためここ善光寺に移して以来、「浜善光寺」「浜の善光寺」と呼ばれるようになった。本尊の流転については諸説ある。

越後五智国分寺 山門
国分寺本堂
三重の塔

越後国府は平安時代は頸城郡にあったことされるが、その具体的な所在地は不明。現在、五智にある国分寺は、上杉謙信によって永禄5年(1562年)に真言宗寺院として再興されたと伝えられていまる。

五智如来道標 「左かが道 五ち」
光源寺寺門
居多神社(こたじんじゃ)
越後一宮とも呼ばれる延喜式内社

***

稲田ー春日新田ー黒井

稲荷神社
照蓮寺
善念寺
稲田口番所跡
光明寺
諏訪神社 大ケヤキ
篠宮麸店
稲荷社
神明社
筆塚
十二社
大日地蔵尊 一里塚跡
供養塔
八幡神社
若宮八幡宮
春日神社
春日神社門柱
春日新田の馬市
覚真寺門
石仏群
鹿島地蔵様 
稲荷社
佐内道標 右さいみち 左おう志う道「さいみち」とは 在(さい)の村々へ行く道のこと
道標 筆塚

道標に旅人に行くな!の意で刻まれている言葉 さいみち 村なか 村道 山道(多い)作場 

黒井神社
八千浦村道路元標
本敬寺
諏訪神社
信光寺
諏訪神社
延命地蔵尊
円蔵寺
諏訪神社
諏訪神社
防火地蔵尊
市神様
六地蔵 六地蔵は火葬場に多く祀われている
米山道道標 米山道・左奥州道と刻む 米山道は米山講の参詣道
正行寺
了蓮寺
最勝寺
地蔵様
神明神社
石碑群
福浄寺
光徳寺
黒川神社
地蔵様
親鸞聖人のお枕石
妙蓮寺
浄福寺
柿崎道標「左 奥州道 右 山みち」道標の上段に☜の図形が彫られています。旅人に「左ですよ」と案内
左を指す

村なか、村道=村の住居地 山道=住人が山仕事に使う道 作場=田圃、畑などへ行く道 さいみち= 在(さい)の村々 これらの言葉は旅人に行くなと呼び掛けている

石碑
石碑O
十二社
慈眼庵
石仏
大清水観音碑
大泉寺観音堂(大清水観音堂)
木喰堂
本堂
妙興寺 参道
たわら屋敷
鉢崎(はっさき)神社
蓮光院
鉢崎地蔵尊
鉢崎(はっさき)関所跡
聖ヶ鼻より牛ヶ首層内褶曲 遠方柏崎刈羽原発
聖ヶ鼻地層露頭
松田伝十郎碑 中越沖地震により埋まりましたが引き上げ移設

聖ヶ鼻から笠島方面の北国街道は断崖絶壁の斜面に沿い道筋がつけられていましたが、中越沖地震により崩落し廃道になっています

庚申塔
米山
石仏
石仏群
双体道祖神
石碑
二十三夜塔道標「右高田道 左やま道」多聞寺に移設
十二社
多聞神社
地蔵様
明治天皇青海川行在所
青海神社
六地蔵
六割坂 青海川河口から始まる
出羽三山供養塔 六割坂下降点
北国街道米山三里旧道道標

「右ハかみがた(上方)へ」頸城と刈羽の郡境にあり、桑名(飛地)・高田両藩の境界でもあった。佐渡金銀はここを経て高田藩に引きつがれた

一万座供養塔・京江戸道道標 「右の道は 京江戸往来 左の坂は米山薬師さんけい道」

***

鯨波ー柏崎ー宮川

人道橋付近
庚申塚
庚申塔道標 右上かた道 左山道
神明宮
妙智寺
地蔵
竜泉寺
鯨波村道路元標
鯨波一里塚跡・石仏群
皇上御野立所 鯨波戦争(戊辰戦争で東軍の総司令部があった 明治天皇北陸巡幸の御野立所
東の輪薬師堂
常夜灯
番神諏訪神社
番神堂

1274年(文永11)佐渡から赦免された日蓮上人が祀った。棟梁は4代目篠田宗吉、石工小林群鳳、彫刻は出雲崎の原篤三郎、脇野町の池山甚太郎、直江津の彫富、飾り金具は大久保の歌代左次兵衛の鋳造

地蔵堂
毘沙門天
日の出坂
下宿村道路元標
閻王寺跡
順之木稲荷
勝願寺
豊洲神社
虚空蔵寺
柏崎陣屋跡碑
新潟県無形文化財認定 蝋型鋳金 大久保鋳物 五代晴雲 原惣右エ門工房
極楽寺
地蔵様
地蔵堂
御嶽山神社
正法寺
香積寺
ねまり地蔵
立地蔵
西永寺
延喜式内石井神社
妙行寺
専福寺
柏崎神社
奥州道道標 魚沼街道追分から移転 魚沼街道は広田峠を越え小千谷へ至る
釈迦堂跡
閻魔堂
内陸ルートとの分岐
不動明王
石仏
無漏寺
春日陣屋跡
悪田稲荷神社
鯖石川は「悪田の渡し」で越えていましたが、水かさが増しているときは、上流の橋場の渡しを利用していた
諏訪神社
二十三夜塔道標 右ハあら浜 左ハ阿ラ浜新田
地蔵様
稲荷社
地蔵様
荒濱村道路元標
地蔵尊
円通寺跡
諏訪神社
法華寺
青山稲荷神社
庚申塔
刈羽原発により北国街道は途切れる
不動明王
供養塔
地蔵堂
髙濱町道路元標
西光寺
竜泉寺
宮川の清水不動尊

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椎谷ー石地ー出雲崎

 椎谷藩と北国街道 天明義民事件:8代藩主 著朝の頃に藩の財政が悪化し、農民に重税を掛けた事が百姓たちが騒動を起こし瀑布の裁定を仰ぎ、著朝は蟄居(ちっきょ閉門の上 自宅謹慎 )し新たにの三河国西尾藩の松平乗祐の三男彦弥(改名して堀直起)が藩主となり、越後内の5千石と信濃国高井郡六川(ろくがわむら)村が同高で領地替えが行われました。当時の六川村は、小布施町/六川、中子塚、清水、羽場 高山村/中山田、奥山田 中野市/草間、大熊 長野市/中御所、問御所が該当します。 椎谷藩からの往来は、北国街道、川東道が利用された。 椎谷宿↔野尻宿(北国街道分岐)川東道道標(左川東道)↔千曲川渡し↔六川村

.

.

椎谷角城跡
華蔵院
椎谷陣屋跡
椎谷の馬市蹟
明治天皇椎谷御小休所碑
閻魔堂
椎谷観音 山門
椎谷観音堂
机立観音堂
六助のイボ地蔵尊
諏訪神社
真蔵院
馬頭観音 石仏群
稲荷神社
閻魔堂
御島石部神社
長屋門・明治天皇行在所
形蔵院
石井神社
勝見稲荷堂 法持寺
松代藩士の墓
尼瀬獄門跡

出雲崎には、牢屋と極刑執行所も設けられ、江戸幕府直轄の出雲崎代官所が、文化5年移転した時、一緒に罪人の処刑場もここへ移された。その処刑場跡。

獄門跡の脇の小川は、斬首した犯罪人の首を洗ったことから洗い川と呼ばれる。

北国街道 出雲崎宿
綱掘式石油井戸
代官所稲荷
善勝寺
萬因寺
御用小路(金銀小路)
養泉寺
廻船問屋熊木屋跡 北国街道妻入り会館
稲荷神社
妙福寺
芭蕉像
円明寺
住吉神社
石井神社
出雲崎代官所跡
出雲崎町道路元標
海円寺
善乗寺

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屋代ー福島ー布野の渡しー平出追分

 松代の城下を貫けることから松代街道(松代道)と呼ばれ、、北国街道の東往還で北国街道東脇往還の名称もあります。北国街道の矢代宿分岐して雨宮宿→松代宿→川田宿→福島宿→長沼宿→神代宿を経由して牟礼宿にて北国街道に合流します。千曲川の「矢代の渡し」犀川の「犀川の渡し」が開かれる以前は、北国街道としての役割を担っていました。川田宿で谷街道、福島宿で大笹街道と分岐し、千曲川を「布野の渡し」にて長沼宿に渡りました。


北国西脇街道 稲荷山善光寺道標にて、松代道矢代宿へ向かう道が分岐する。

稲荷山善光寺道標
左せんこうじ道 右東京 屋代道
杭瀬下渡し(くいせけ)

矢代宿入口
道祖神 祠
石仏群
庚申塔
雨宮縣村道路元標
法輪寺
道祖神
雨宮日吉神社
石碑
招魂社
石碑
十王堂跡
一里塚跡
袖振地蔵尊
祠 石仏群
石仏群
庚申塔
浅水庵地蔵尊
石碑 供養塔
會津比売神社
石仏群
大宮神社
石仏群
道祖神
小峯神社
道祖神
庚申塔 石仏群
石仏群
離山神社
庚申塔 道祖神
庚申塔塚
大信寺
縣宮大明神
祝神社 延喜式内神社
高札場 市大社
 市神様
道標

向テ左西寺尾村ヲ経テ長野市ニ至ル 向テ後方松代町ヲ経篠ノ井町・屋代町ニル 向テ右寺尾村ヲ経テ須坂及中野町ニ至ル

荒神堂
 大石大明神
千曲川通線船着場跡
長明寺
萬法寺
福徳治
猿田彦大神
地蔵堂 石仏群
石仏群
寺尾道標 左善光寺道 中柴彌陀道 右川田驛
庚申塔
石仏
石仏群
庚申塔
鳥打峠
地蔵様
禅福寺
石仏群
高井大室神社

古道の道筋を遺す 2019年台風18号にて崖崩れがあり石仏が損傷、埋まってしまっている。 

関崎越え
石仏が千曲川を見守る
関崎越え~町川田神社
関崎の渡し跡
町川田神社
道祖神
観音様
北向き観音
 松代藩口留番所跡
桝形 秋葉社
高札場
本陣跡
桝形 秋葉社
双体道祖神
双体道祖神
秋葉社
子育地蔵
湯島神社
道祖神
富士社
保科道道標 右松代 左保科道
稲荷神社
称名寺
上高井郡渡内村道路元標
正満寺
綿内道標 右 井上 須坂 左 福島 村山 小布施中野道
石仏群
地蔵尊
養蚕神社
浄国寺
本陣跡
常徳寺
福島宿道標 大笹街道との分岐
左 草津仁礼道 右 松代道
せ
石碑
天神社
筆塚
西福寺
本陣問屋跡
庚申塔
福島宿 布野の渡し 馬頭観音道標
 左 北國街道 布野船渡 善光寺道 右 中野小布施道
布野舟渡
諏訪神社
地蔵様
馬頭観音
布野大神宮
古野神社
村上神社
布野の渡しの地蔵道標

東ハ 北國 ゑちご 飯山 西ハ 善光寺 戸隠 

地蔵尊を線刻

勝楽寺跡 地蔵尊
筆塚
秋葉様
川上社地蔵
長沼神社
長沼道標
左ハせんく王うし道
  右ハゑちこ道
林光寺山門
長沼城址跡
守田神社 延喜式神社
2019年洪水にて社殿は流出
祠道標
右 えちご 左 さく〇道
左 せんく王〇
妙笑寺
木柱 氾濫の記憶
令和元年洪水は2番目
石仏群
地蔵様
妙願寺
大田神社
浅慶院
馬頭観音
石仏
忠恩寺跡
八幡神社
馬頭観音
庚申塔
流死人菩提碑 地蔵様
多賀神社
石殿型庚申塔
善光寺道標
是ハ善光寺みち
 これより右せんく王うしみち
白坂下道標
右やま道 左牟礼道
地蔵様
白坂馬頭観音
一里塚
白坂峠
平出追分道標
是より左長沼みち
是より右善光寺みち
平出追分 北国街道と合流