知られざる信濃国の絶景・雪形

信州絶景 写真スライドショー
信越国境に響く爆音「苗名滝」★★★
浦見の滝「雷滝」★
奥志賀高原雑魚川「 大滝(おおぜん)」★★
大塞の神
信越国境 白池
角間池
境の宮 薙ぎ鎌
小倉明神 薙鎌
戸土道標 陽刻
姫川下流より、①中山峠 ②鳥越峠 ③アワガ峠 ④大網峠
戸土からの鬼ヶ面岳 山名は当時賑わいのあった部落の呼び名で命名されている 
湯道 小谷温泉への道
とうだいブナの森
湯道 小谷温泉への道
横川六地蔵

地蔵峠北側は巨木を貫く古道

地団駄 上杉の援軍が、平倉城が武田軍により落城させられたときの火の手をここから見て、地団駄を踏んだ
観音菱 急斜面の岩場の絶壁に道を開いた場所で、難工事であり、犠牲者がでたことからの供養
貝の平 戦国期、武田・上杉の攻防の中で、武田軍が、上杉方の平倉城、飯森十郎盛春を攻めた。謙信は援軍を引き連れ、家来に、ほら貝を吹かせ、援兵の到着を知らさせた。
ガニ原 ガニとは、「牛の沓」の意、古道がとおる、地名に使われる言葉
お頭岩は、戸土にて薙鎌打ち神事が行われる前日、大祝一行が、休息し、「薙鎌」を安置した。
石原白山社大杉 目通り12m、高さ42mの大杉、過去3度の火災があり、大きな空洞がある
姫川 右岸ガニ原
北アルプスを背景に真木集落
真木集落 楢山節考ロケ地 徒歩のみ1.5時間
千国集落
親沢馬頭観音群
牛つなぎ石
牛方宿
沓掛の道 桜近くから大雪渓が見える 麓の集落から大雪渓が見えるのはここだけ
前山百体観音
楠川に架かる瀬田橋は、川幅が狭く、両岸の岩盤が強い場所に架けられている。塩の道が栂池高原を貫く理由
観音原百体観音と馬頭観音187体が方形に並び、脇を塩の道が通る。江戸時代末期の文化年間高遠石工の作。
白馬青鬼集落 千国集落からの、善光寺街道が通っいた
松川の渡し

佐野峠 西国三十三観音

初冬などの積雪時には旅人の道しるべともなっていた

青木湖
中綱湖
木崎湖
大町市借馬 早春、塩の道沿いの水田に、北アルプスが影を映す
塩は、糸魚川から大町まで通常6日かけて運ばれた。最速の歩荷(一日追い)では、生魚・塩魚を運んだが、糸魚川を午後4時に出て翌夕方に大町に着いた。松本へは翌々朝に運ばれていた。
霊松寺 霊松寺の安達達淳住職は廃仏毀釈にさからい、住職の知恵で廃寺となることを免れました。       本堂天井の啼龍
山門は、明治の廃仏毀釈によって廃寺となった松川村の同じ曹洞宗の観松院からの移築されたもの。北アルプスの展望台
旧塩の道博物館
庚申塔道標「右 善光寺街道」「左 越後道」昔は、道の名前は、目的地で呼んでいた。塩の道が、糸魚川では「松本街道」と言われていたことも同様です。
若一(にゃくいち)王子神社
国の重要文化財
池田町美術館からの眺望 塩の道とは、重複していないところもありますが、古墳、遺蹟、石仏があり、眺望も素晴らしい
滝沢道祖神
仁科明神 本殿、中門および釣屋は、寛永13年(1636)の造営で、江戸時代初期の建築。神明造の建築としては、唯一の国宝である
梓川(犀川)の渡しが3ヶ所あり、それにともない塩の道は、3ルートあります。深志(現松本)から、豊科へは、荒井の大銀杏を目指し、歩いた

拾ヶ堰(じっかせぎ)文化13年の完成。水利権の関係で、梓川からは、取水ができず、奈良井川より取水し、梓川の地下をサイフォン原理にて水を通している。また、拾ヶ堰は、全長約15㎞、勾配5㎝/1㎞というわずかな勾配の土木技術で完成させている。江戸時代の技術力に驚きを感じる。現在の梓川の地下を通すサイホンは、平成10年に改修した。

塩の道からの雪形

白馬岳 雄馬 代掻き馬 小蓮華岳 種まき爺さん 婆さん 種まき爺 仔馬 嫁岩(嫁菱)  白馬乗鞍岳 鶏 種まき爺さん

松本から糸魚川へ

北アルプス 蝶が岳

アゲハ蝶
 安曇野より

北アルプス 大天井岳

子犬
 安曇橋より

北アルプス 常念岳

常念坊
 安曇野より

北アルプス 常念岳

万能鍬
 安曇野より

北アルプス 爺が岳

左 南の種まき爺さん
右 北の種まき爺さん
 大町より

北アルプス 鹿島槍ヶ岳

左 鶴
右 獅子  駆け下っている勇壮な姿
 大町より

北アルプス 五竜岳

武田菱 塩の道が「もうひとつの風林火山」とも云われますが?
 白馬より

北アルプス 八方尾根

上 猫 オリジナル
右 内裏様 オリジナル
下 手斧打ち(ちょうなうち)

北アルプス 小蓮華岳

左 種まき爺さん
右 種まき婆さん
 栂池高原より

雨飾山

鶴と小鶴
親鶴の背中に子鶴(あひる?)が 親鶴の首が切れると田植えです

頚城山塊 駒ケ岳

ねこまんま
 大久保集落より

黒姫山 

上 舟窪
下 土瓶
 大野より