古道を歩く

塩の道 小谷村 戸土道標 文字は陽刻にて目的地を案内

 古道歩きは石仏のオリエンテーリングがこのサイトのテーマです。

 交通網が発達した現代においても、江戸時代以前の古道の痕跡、いや古道そのものが遺っています。私は、古道の道筋を捜すにあらり、路傍の石仏を頼っています。その古道が歩かれていた時代と同じ場所に佇んでいるとは限りませんが、当時を想像し古道の道筋を想定しています。当然ですが、先人が書き留めた資料も参考にしていただきました。

 古道の道筋を推定するにあたり、重要視している石仏を以下に記載しました。「古道歩きは石仏のオリエンテーリング」の由縁です。

古道歩きの最大の醍醐味は、江戸時代の旅人が見た景観を見ること

 とは言え、そんな古道は非常に少なくなってきています。が、土の道が遺り眼前に古からの景観が遺るオススメの古道を列記しました。

 

北国街道野尻宿~古間宿
北国西脇街道刈谷腹原峠 立峠 大切通し 猿ケ馬場峠
大町街道乗越峠 篠ノ井信級通り 稲荷山通り/八幡道
中山道鳥居峠 大井宿~大湫宿~細久手宿
北国脇街道・谷街道舗装道
富倉街道富倉峠
草津道・大笹街道芳が原 峠の観音 更科峠 
下街道北国西脇街道
塩の道千国街道中山峠 大網峠 天神道 千国~栂池高原 落倉~楠川
塩の道千国古道鳥越峠 地蔵峠 大峯峠
西廻り塩の道岩木越え
仁科街道/奈良井川左岸舗装道
古甲州道雹留山丘陵 浅間時尾根 鞘口峠~ふるさと村 
牛の寝通り 石丸峠~大菩薩峠~霊峰寺
古富士道十文字峠 佐野峠 

道標/道しるべ   目的地が石柱に彫られた道標の他、観音様、庚申塔、地蔵様に彫られた道標があります。

馬頭観音     人は一般的には墓地に葬られるが、牛馬は人に尽くしたことから丁重に葬られ、路傍に馬頭観音として祀られることが多かった。故に古道の道筋の推定の要素です。

その他石仏    道祖神、庚申塔(庚申塚)観音様 地蔵様等 古道道筋に祀われていることが多いです。

 

石仏のオリエンテーリングのツールは、GPSを利用したスマホGoogleMAPです。

  ポイントは 石仏、神社 寺院 などを示します。

  スマホ片手に古道を歩きましょう。

善光寺に向かう道  旧善光寺街道のページ

北国街道 松代街道 北国西脇街道 飯山街道 谷街道 草津道 大笹街道 大町峯街道 土尻川街道 八幡道 下街道

塩の道/千国街道   旧塩の道のページ

千国街道 千国古道 西廻り古道 仁科街道

古甲州道・冨士道  旧古甲州道のページ

 古甲州道 古冨士道

オリエンテーリングでいうチェックポイントに相当する古道のポイントは石仏以外に下記も該当します。

神社・寺院  鳥居、寺山門は道筋に建っていました。

火の見櫓   最近は取り壊しされる櫓が多いのが残念ですが、造られた時代にかかわらず、古道道筋に近いところにあります。

郵便局    集落の中心にあることが多く、古道の道筋を推定するのに役立ちます。

旧古道ホームページ

古道のガイド 散策の情報はこちらから

長野県小谷村神の田圃

塩の道が通る小谷村の古道周辺には絶景がポイントが多くあり、紹介しています。

道標 善光寺

道標 善光寺

右善光寺 彫られた石仏/道標(以下善光寺道標)が善光寺へ向かう道に遺っています。諸般の認識は、信州=善光寺でもあったことが伺えます。道標キャプションはGoogleMAPにリンクしております。

善光寺道標メニュー

善光寺街道と信州で呼ばれる道北国街道 松代街道
北国西脇街道
大町街道
中山道 洗馬~草津近江
越後 上州 美濃からの善光寺街道北国脇街道 谷街道
草津道 大笹街道
下街道

北国街道

北国街道を中山道追分宿(追分分去れ)にて分岐し、善光寺を経て直江津までの街道と定義し、善光寺街道、北国脇街道とも呼ばれる街道

追分分去れ道標 従是北国海道
上田諏訪道標 右せん加うし道
せんく王うし道道標
上松道標 右善光寺チカ道
平出追分道標 是より右善光寺みち
新井道標 右善光寺

松代道

松代道は北国街道が千曲川を「矢代の渡し」にて渡り、善光寺へと向かう以前は北国街道であったが、その後松代道と言われた。松代道は、千曲川を福島宿「市野渡し」にて渡った。なた、北国西脇街道と矢代宿~稲荷山宿にて分岐した谷街道と綿内道標まで重なる。

寺尾道標 左善光寺道
布野の渡しの馬頭観音道標 左善光寺道
布野の渡しの地蔵道標 西ハ 善光寺
長沼祠道標 左せんく王〇

北国西脇街道

北国西脇街道は、北国西脇往還/北国西街道、善光寺西街道/善光寺稼働とも言われ、洗馬宿にて中山道と分岐し善光寺へ向かい稲荷山にて北国街道に合流した街道。

洗馬追分道標 左北國往還善光寺道
塩の道分岐道標 右善光寺
中原道標 左善光寺道
中町道標 ☞せん光寺
岡田道標 左せんく王し道
会田道標 左せんかうし道
岩井道標 左善光寺近道
稲荷山善光寺道標 左せんこうじ道

大町街道

大町より善光寺へ向かう道。大町峰街道 土尻川街道 信州新町を経由し、犀川を渡り、北国西脇街道稲荷山宿より善光寺へと向かう道

馬頭観音道標 左ハ善光寺道
庚申塔道標 右善光寺道
道標 右しんまち(指)せんかうし とかくし
向口道標 左せんくハうし とが久し
道標 右善光寺道
七通道標 右 や 左 せん 推定 右 山道 左 善光寺
赤柴道標 右新町左善光寺

中山道 洗馬~近江草津

中山道も 善光寺へと向かう道のひとつの善光寺街道である。 下街道は 起点を名古屋とし、槙ケ根追分にて中山道に合流し、中山道は洗馬にて北國西脇街道と分けれる。したがって 洗馬~槙ケ根追分をを下街道と北國西脇街道を結ぶ道として、また、槙ケ根追分から草津までを善光寺へ向かう道(中山道)として、石仏を中心に記載しました。

洗馬道標 右 中山道 左北國往還 善光寺道
飯田道道標 右飯田道
 左御嶽山 善光寺
槙ケ根道標 右西京大阪 左伊勢名古屋道
飛騨街道道標 右東京善光寺
関道道標
善光寺道標  右東京 善光寺 左木曽路
草津宿追分道標

右 東海道いせみち 

左 中山道みのぢ

北国脇街道・谷街道

越後小千谷から善光寺へと向かう道で、千曲川/信濃川の左岸右岸に沿って東通り、西通りがあり途中の渡しにより両岸の道を補完する形になっている信州善光寺へと向かう道の総称

信濃川・千曲川 左岸

照専寺門前 右 善光寺街道
四ツ子道標 ☜せんかうし道
円蔵寺道標 右善光寺道
東善寺道標 右善光寺
馬頭観音道標 左善光寺
馬頭観音道標 右ハせん光し
従是善光寺街道〇石橋
左ぜんこうじ 右やまみち
左ぜんかうじみち 右とがくしみち
神代宿道標 是ハ善光寺みち これより右せんく王うしみち
三才道標 右善光寺
徳間新町宿道標 右 飯山 中野 渋湯 草津 道 左 北國往還

信濃川・千曲川 右岸

センくハうシへ二十六リ
右者 善光寺道 左者 見玉不動道
箕作道標
小菅道標
谷脇道道標 右まつしろ せんく王うし道
八幡追分 北の道標 右せん光寺道
井上道標 右ぜんこうじ

草津道・大笹街道

草津温泉より日本で有数の高所にある渋峠を越え、渋温泉、中野より千曲川を渡り、飯山街道に合流し善光寺へと向かう大自然を貫ける古道。上州大笹から鳥居峠を越え、菅平より仁礼宿に下り須坂福島宿にて北国街道(松代道)に合流する。

湯田中道標 左善光寺
夜間瀬庚申塔道標 左善光寺
大黒天道標 右せんくハうし

立ヶ花馬頭観音道標 左善光寺

大笹街道は、上州大笹から鳥居峠を越え、菅平より仁礼宿に下り須坂福島宿にて北国街道(松代道)に合流する。

仁礼道標 左せん光寺
八町道標 左善光寺 右むらみち

下街道

「下街道」江戸時代、名古屋 伝馬会所札の辻から 中山道 槇ヶ根追分までの15里の街道であり、善光寺街道、伊勢道、釜戸道、名古屋道との呼称がある。下記道標の写真を眺めると、善光寺街道と呼ばれた所以がわかる。

丸の内道標
佐野屋の辻道標
大曾根道標
石燈籠道標
内津峠道標
池田宿道標
多治見橋道標

善光寺四十九名所

善光寺四十九名所

善光寺近辺の寺院、神社、池、清水、小路、橋、塚につき、江戸時代中期からまとめられ、後期にはそえぞれ7か所づつ名所として校正されているが、出典によっても差異がある。当サイトは、古道の道筋をあるくことに重点を置いているので、善光寺周辺の寺院、神社等史跡は多数あり、この七名所またはその由来史跡で現在確認できる場所を掲載しました。出典によっても名称の表現、場所等に違いがありますが、適当に判断し掲載しております。

善光寺七寺
本願寺長野別院 
往生院 
時丸寺
十念寺
正覚院
無常院
 明行寺
善光寺七社
湯福神社
武井神社
妻科神社
美和神社
 加茂神社
 木留神社
柳原神社
善光寺七池

 阿闍梨池
 花池
無方池
有方池
来間池
 鶴ノ目池
狐ケ池
鏡池
箱池/箱清水
善光寺七清水
 夏目清水
 一盃清水
瓜割清水
傾城清水 
 柳清水
 垢清水
諏訪清水(準清水) 
 鳴子清水
善光寺七小路
羅漢小路 
 桜小路
 法然小路
  上堀小路
 下堀小路
 花屋小路
 馬小路
 虎小路
善光寺七橋
 駒返り橋
 筋違橋
鶴が橋
善光寺七塚
佐藤兄弟塚
虎が塚
柏崎塚
時丸塚 (円通寺)
姫塚
行人塚/木留神社

信濃国 延喜式内神社

延喜式内神社

延喜式内神社 新海三社神社 鳥居

信濃国 シナノノクニ 延喜式内神社

延喜式神社 延喜式とは、平安時代 醍醐天皇により延喜五年(905)八月に編纂を開始、 二十二年後の延長五年(927)十二月に完成し、延喜式巻一から巻十のうち、巻九・十は、延喜式神名帳の「官社」のことである。延喜式神名帳に記載されていた神社を、式内社、式社という。当時すでに存在したはずであるのに延喜式神名帳に記載されていない神社を式外社という。古道の道筋を推定するのに、また、東山道が貫けていた信濃国、信州においてはその場所から古来の人の往来を推測するのに重要な要素であり、後の道の展開を推測する手がかりになっている。

延喜式内神社

所在地は、GoogleMAPにリンクしています

伊那郡 イナノ コオリ

大山田神社(おほやまたの かみのやしろ)

阿智神社(あちの かみのやしろ)

諏訪郡 スハノ コオリ

諏訪大社 南方刀美神社 二座 ミナカタトミノ カミヤシロ フタクラ

上社本宮:長野県諏訪市中洲
上社前宮:長野県茅野市宮川
筑摩郡 ツカマノ コオリ
岡田神社
ヲカタノ
長野県松本市岡田下岡田
沙田神社
イサコタノ
長野県松本市島立三ノ宮
阿禮神社
アレイ
長野県塩尻市塩尻町
水内郡 ミノチ コオリ
美和神社
ミノワ
長野県長野市三輪
伊豆毛神社
イツモノ
長野県長野市豊野町豊野
妻科神社
ツマシナノ
長野県長野市南長野
小川神社
ヲカハノ
長野県上水内郡小川村小根山
沢之宮小川神社
ヲカハノ
長野県上水内郡小川村瀬戸川
小川八幡宮
ヲカハノ
長野県上水内郡小川村高府
七二会守田神社
モリタノ
長野県長野市七二会
守田迺神社
モリタノ
長野県長野市高田
守田神社
モリタノ
長野県長野市穂保
粟野神社
アハノノ
長野県長野市上野
粟野神社
アハノノ
長野県長野市豊野町石
 風間神社
カサマノ
長野県長野市風間
白玉足穂命神社
シラタマタリホノミコト
飯縄神社
長野県長野市富田
白玉足穂命神社
シラタマタリホノミコト
皇足穂吉田大御神宮
長野県長野市吉田
皇足穂吉田大御神宮旧社地
御神木のイチョウ
白玉足穂命神社
シラタマタリホノミコト
諏訪社合殿
長野県長野市中条
健御名方富命彦神別神社
タケミナカタトムミコト
長野県長野市長野
健御名方富命彦神別神社
タケミナカタトムミコト
長野県飯山市豊田
神社
アハサノ
長野県長野市豊野町石
日置神社
ヒオキノ
長野県長野市信州新町日原
健御名方富命彦神別神社
タケミナカタトムミコト
長野県長野市信州新町水内 斉宮
更科郡 サラシナコオリ
波閉科神社
ハヘシナノ
長野県千曲市上戸倉
佐良志奈神社
サラシナノ
長野県千曲市若宮
當信神社
タニシナ
長野県長野市信州新町信級
長谷神社
ナカタニノ
長野県長野市篠ノ井塩崎
清水神社
シミツノ
長野県長野市真島町真島
清水神社
シミツノ
長野県長野市信更町三水
清水神社
シミツノ
長野県長野市信更町田野口
清水神社
シミツノ
長野県千曲市力石
氷鉋斗売神社
ヒノカナトメノ
長野県長野市川中島町上氷鉋
更級斗女神社
サラシナトメ
長野県長野市川中島御厨
頤気神社
イケツ
長野県長野市小島田町
皇足穂命神社
スメタルホノミコト
長野県長野市信州新町里穂刈
治田神社上の宮
ハタノ
長野県千曲市稲荷山
治田神社下の宮
ハタノ
長野県千曲市稲荷山
武水別神社
タケミツワケノ
長野県千曲市八幡
桶知大神社
ヒジリ
 長野県長野市大岡丙

安曇郡 アツミノコオリ
穂高神社
ホタカノ
長野県安曇野市穂高

川会神社
カハアヒノ
長野県北安曇郡池田町会染

高井郡 タカイノコオリ
墨坂神社(芝宮)
スミサカノ
長野県須坂市須坂
墨坂神社(八幡神社)
スミサカノ
長野県須坂市墨坂
越智神社
ヲチノ
長野県須坂市幸高
小内神社
ヲウチノ
長野県中野市安源寺
笠原神社
カサハラノ
長野県中野市笠原
小坂神社
ヲサカノ
長野県須坂市井上
高社神社
タカモリ
長野県中野市赤岩
越智神社
ヲチノ
長野県中野市越 字屋敷添
欅原神社
クニギハラ
長野県上高井郡小布施町都住 
高杜神社
タカモリ
長野県上高井郡高山村高井

埴科郡 ハニシナ コオリ
坂城神社
サカキ
長野県埴科郡坂城町坂城
中村神社
ナカムラノ
長野県長野市松代町西条
玉依比賣命神社
タマヨリビメ
長野県長野市松代町
小県郡 チイサカタコオリ
生島足島神社
イクシマタルシマ
長野県上田市下之郷中池西
山家神社
ヤマイヘ
長野県上田市真田町長
 塩野神社
シホノノ
長野県上田市前山
塩野神社
シホノノ
長野県上田市保野

子檀嶺神社
コマユミノノ
長野県上田市武石小沢根
子檀嶺神社
コマユミノノ
長野県小県郡青木村田沢
佐久郡 サクノコオリ
英多神社
エタノ
長野県佐久市安原
新海三社神社
ニイサクノ
長野県佐久市田口宮代
大伴神社
オオトモ
長野県佐久市望月
長倉神社
ナカクラノ
長野県北佐久郡軽井沢町長倉
信濃国特別神社 熊野皇大神社
クマノコウタイジンジャ
長野県北佐久郡軽井沢町峠町
狛犬