北国西脇街道は、北国西脇往還/北国西街道、善光寺西街道/善光寺街道とも言われる。現在、国交省は北国西往還とされている。中仙道洗馬宿と北国街道篠ノ井を結ぶ道であり、尾張、美濃の人々の善光寺詣で道筋は、下街道-中山道洗馬宿-北国西脇街道-北国街道篠ノ井-善光寺が主であった。そして、信州から見れば、伊勢詣の道であり、伊勢道であった。街道の路傍に今も、いせ道と刻まれた道標が街道を見守る。
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洗馬ー郷原ー村井ー松本
仁科街道/塩の道との分岐石仏群の供養塔側面に右 善光寺と供養塔の側面に刻む
郷原宿は本陣はなかった(大名の往来が少なかった)地元では、山城屋を本陣と呼んでいる。
塩の道の分岐は、砂糖販売店
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岡田ー刈谷ー会田
右江戸海道 左せんく王うし道 街道を海道と表記するのは、正徳6年以前
背中に仏像を背負い全国六十六カ所を順拝し、法華経を納める六部が江戸中期に建立
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青柳ー大切通しー麻績
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市野川ー桑原ー稲荷山ー篠ノ井追分
西京街道道標~武水別神社(八幡宮)